直感的に雪!と思って窓を開けると銀世界。

庭の槿の蕾も雪帽子だ
続きを読む
今日、予定されていたサイクリング&ウォーキング企画
「籾井城登山と宿場町福住歩き」が催行人数に及ばず
無念の中止となった。先週の木曜日にラジオ局のナマ取材もあり
『行けるかも!』と思ったがラジオ効果はゼロであった。
天気はまずまずの好天!なんとも残念なことではある。
予期せず、スケジュールがポッカリと空いてしまった土曜日をどう過ごそう?
図書館に籠って調べ物をするか、墓地をめぐって名字と紋を探索するか、
やはり城攻めモードのまま何処か山城攻めといくか…
結論は当然というべきか山城&墓めぐりとしたが、さて攻城先である。
思いついたのは丹波美山の島城と摂津能勢の丸山城、いずれも再訪だ。
調べると美山は雪らしい、『よし!摂津能勢に行こう!』 と決定した。
今年2013年は十干十二支でいう「癸巳(みずのとみ)」、
我がことで恐縮だが、六十年前の癸巳の年にこの世に生を受け
他人様に語るほどの波乱万丈もなく、
あっさりと還暦を迎えられたことは幸せなことだ。
この還暦、厄年にあたるのだそうな・・・
今日は家紋講座の三日目だったが、受講希望者が
「いらっしゃいません」との連絡を受けて中止になった (T_T)
連絡がもっと早くいただけていたならば、宍粟城研の見学会に行けたのに!
と悔やんだが、講座があることを前提に
午前中は別の約束をいれていたため見学会に参加もならない。
なんとも、段取りの悪い日曜日となった。
ともあれ、朝の打ち合わせをすませたのち近在の山城に登ることにした。
はじめ、亀岡の東別院にある東掛城にいこうか?と思ったが
昼からの城攻めには遠すぎる。それならということで、
先週に続き園部行きに決定、宍人にある小畠氏の城攻めとなった。
宍人山城跡(左の山上)と宍人居館址(右手前)
三連休の最終日、天気は雪がぱらつく曇り空。
園部藩小出家の菩提寺ー徳雲寺に出掛けることにした。
徳雲寺は中世の土豪庄林氏が建立したのが始まりという古刹で
小出家との所縁もだが、庄林家の方により興味を惹かれたのであった。
せっかく園部に行くことなので
かねてより再訪を目論んでいた黒田城にも登ってきた。
先日、山城仲間のMさんから、播磨恒屋城と小谷城がキレイに整備され、
見違える状態になったとの情報をいただいた。
恒屋城、小谷城ともに赤松氏に関わる山城で
これまでに機会を見つけては登ったところで、地元の城跡保存会もあり
登山道や主郭部などはよく手入れされ、クマの山城跡ランキングは上位のところだ。
恒屋城は昨年の秋、戦国倶楽部のオフ会で登ったが
曲輪郡は相変わらず雑木、灌木が生い茂った状態にあった。
何やら、年初に見学会があったとかで城跡が思いっ切り整備されたようだ。
一方の小谷城は、一昨年にMさんと登ったが、
主郭部以外は灌木が生い茂り、西の曲輪群の探索は断念したことを思い出す。
二つの城跡が、どのように整備されたのか?気になるところだ。
ともあれ、近場の小谷城に出かけることに決定!
せっかく播磨方面に行くことなので、播磨と丹波の境目に位置する
山南町和田に残る岩尾城跡にも再訪することにした。
午前中、ディスカバーの「土曜会」に参加、
先輩ガイドさんによる篠山城に関しての講座を拝聴。
その後、活動に関しての報告・連絡会となり
最後にディスカバー30周年史誌を配布いただいた。
まだ、駆け出しの身ながら史誌の末席に列なったのは
ちょっと面映ゆいものがあるが、ま、「よし!」とさせていただこう。
土曜会が終わったのち、来月16日に開催予定の
サイクリング&ウォーキング「八上城と明智の陣城めぐり」の下見を思い立ち
今朝がたの雪が残る、野間砦、塚ノ山砦、そして勝山砦をめぐった。
先月の20日を初回として、神戸で家紋講座(全三回)をやらせてもらっている。
その第二回目である今日の受講者は、千葉姓の方がお一人という
なんとも寂しいというか、ほとんど個人授業とでもいうべき講座となった。
先日、ガイドの実習に参加して
いよいよガイドな日々が始まるか?と思っていたら
早速、先輩ガイドのAさんから出動依頼がきた。
内容は、町のガイドというものではなく
家紋についての質問に応えて欲しいとのことだった。
日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | |||||
3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |
10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 |
17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 |
24 | 25 | 26 | 27 | 28 |