昨日の東山城整備作業と城跡探索に続き
今日は山名氏城跡保存会の見学会に参加して但馬八木城に遠征。
天気は暑さを予感させる快晴、集合場所である下八木公民館に到着して驚いた。
この炎天下の見学会に、二十人以上の参加者が集まっておられ、遠くは大阪から来たという方も。さすが国指定史跡の但馬八木城だけのことはある。
山麓の里屋敷址から城址を遠望する
但馬八木城は山名四天王の一人に数えられる八木氏の築いた城で
京から丹波を経て但馬、そして因幡へと通じる山陰道を押さえる位置にある。
八木城は石垣造りの「石城(八木城)」と、土で造られた「土城(古八木城)」とがあり、前者は八木氏のあとに入った別所氏の手になるものといい、後者が八木氏の築いたものだといわれている。
但馬八木城は、六年前に「石城」に登って以来、再訪を目論んでいたところで
今回の城保会の「八木城・古八木城」見学会は願ってもない企画であった。
2012年08月26日
但馬八木城を再訪、念願だった土城踏破も達成!
2012年08月25日
東山城整備作業の二日目に汗を流す
今日は、波々伯部氏の東山城整備作業の二日目。
前回に続いて、登り道の倒木、雑木の伐採
倒木の下からマムシが出てくるなどの一騒動もあったが、無事終了。
続いて、北尾根筋の堀切から竪堀、主郭北側に設けられた二段の腰曲輪、
そして、主郭部の雑木伐採作業がワイワイと行われた。

雑木、倒木が払われてスッキリ登れる山道があらわれた
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前回に続いて、登り道の倒木、雑木の伐採
倒木の下からマムシが出てくるなどの一騒動もあったが、無事終了。
続いて、北尾根筋の堀切から竪堀、主郭北側に設けられた二段の腰曲輪、
そして、主郭部の雑木伐採作業がワイワイと行われた。

雑木、倒木が払われてスッキリ登れる山道があらわれた
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2012年08月18日
光秀が本能寺に兵を進めた明智越を歩く
明智光秀が丹波亀山城から京の本能寺に兵を進めたのは山陰道老ノ坂というのが定説だが、大軍を移動するには無理がある。実際は老ノ坂と唐櫃越え、明智越えの三つのルートから京に進撃したようだ。 続きを読む
2012年08月15日
お盆、お墓のことをウダウダ考えてみた
夏といえばお盆の帰省、お盆の帰省をすればご先祖さまのお墓参り、
お墓参りに行けば墓石に刻まれた家紋を探索するのが楽しみだ。
この夏休みは他人さまのお墓を訪ね歩いて家紋探索に汗を流したが、
当然ながら、お墓参りに来られたみなさんの胡乱な目に晒されることになる。
ところで、お墓といえば四角い墓石、台座には家紋というのが定番となっている。
そもそも、このようなお墓が世の中に登場したのはいつころのことなのだろう?
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お墓参りに行けば墓石に刻まれた家紋を探索するのが楽しみだ。
この夏休みは他人さまのお墓を訪ね歩いて家紋探索に汗を流したが、
当然ながら、お墓参りに来られたみなさんの胡乱な目に晒されることになる。
ところで、お墓といえば四角い墓石、台座には家紋というのが定番となっている。
そもそも、このようなお墓が世の中に登場したのはいつころのことなのだろう?
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2012年08月13日
八上城、野々垣コースを再訪。
先週、踏破した八上城登山野々垣コースをリトライした。
今日の目的は、以前に殿町から八上城に登るコース探しにトライして
無念の挫折を味わったコースを山上側より確認しようというものであった。
国土地理院の二万五千分一の地図を見ると
殿町にある蕪丸の東方谷筋に山道を示す点線があり
山上からの分岐は野々垣コースの途中に発しているのである。
以前に登ったとき、道は山腹で消滅していたが読図を間違った可能性もあり、
山上からの下り道を探し当てればルートを辿ることができるはずと考えたのだ。
2012年08月12日
久々の多紀連山アタック!
朝一番、長女夫妻が帰ったあと
ひさしぶりに多紀連山に登ろうということになった。
ルートは、かねてより登りたいと思っていた川阪コースをチョイス。
川阪コースは修験道のひとつで岩門、聖窟があり、
戦国時代の山城ー川阪砦跡もある、見所の多いルートだ。
とはいえ、明確な山道はなさそうなのが気になったが
尾根筋にさえのれれば問題なかろうとたかをくくって出発した。
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ひさしぶりに多紀連山に登ろうということになった。
ルートは、かねてより登りたいと思っていた川阪コースをチョイス。
川阪コースは修験道のひとつで岩門、聖窟があり、
戦国時代の山城ー川阪砦跡もある、見所の多いルートだ。
とはいえ、明確な山道はなさそうなのが気になったが
尾根筋にさえのれれば問題なかろうとたかをくくって出発した。
2012年08月11日
老ノ坂に鎮座する首塚大明神、再訪
廃屋探索好きな長女の相方を老ノ坂峠にある廃屋に案内した。
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相変わらず、陰気な雰囲気をまとった荒れた状態のところで、
全体にゴミの山化しつつあるタダの汚ない場所でしかなかった。さらに、
以前にあった廃屋がなくなっていたり、立ち入り禁止状態だったりして
目当ての廃屋探索は断念せざるをえなかった。全体にゴミの山化しつつあるタダの汚ない場所でしかなかった。さらに、
以前にあった廃屋がなくなっていたり、立ち入り禁止状態だったりして
婿殿いわく、関東方面でもゴミの不法投棄や不心得者の跋扈で
廃屋は速やかに撤去されることが多いのだという。
廃屋は速やかに撤去されることが多いのだという。
2012年08月10日
2012年08月05日
丹波亀岡に保津五苗の家紋を探る
亀岡市街の北方を流れる大堰川(保津請田から保津川)、その北側にある保津集落は
中世地侍の系譜をひくという「保津五苗(Gomyo)」と称される名字がある。
すなわち、桂、村上、永井、長尾、石川の五姓で、
江戸時代には郷士格として遇され、譜代の家頼* をもち侍身分を称した家々である。
武家屋敷を思わせる保津集落の石川家
果たして、保津五苗の家々はどのような家紋を用いていたのだろう?
*伝来文書類には、家来ではなく家頼と書かれている
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2012年08月04日
八上城跡、野々垣口から攻め上る
丹波篠山随一の戦国山城といえば八上城
明智光秀に抗戦して滅びさった波多野一族の本城であった。
八上城登山は北側山麓の春日神社から主膳屋敷跡に取り付き
尾根筋曲輪、本丸、馬場、芥丸を経て藤の木坂口に下るというのが定番だ。
今日は本来の伝大手道であったという野々垣口から攻め入り
北側山麓に鎮座する弓月神社口へ駆け下るコースにチャレンジした。
登り口すぐのところにある池、微妙にいい感じだった