篠山に引っ越して以来、参加させていただいている綾部の餅つき忘年会に
今年も相方と一緒に参加、楽しい時間を過ごすことができた。
会場となるOさん宅は、中世の丹波国何鹿郡栗村にあり
すぐ近くに式内社の赤国神社が鎮座し、
そのすぐそばの低山尾根先に舘城跡が残っている。
2011年12月30日
年末、恒例の餅つき忘年会に参加
2011年12月26日
篠山は雪、寒い冬にとなりにけり
2011年12月25日
備前三大山城の一、天神山城攻めに遠征
世間ではクリスマスという今日、城郭ドットコムさんと連れ立って備前天神山城を攻めてきた。備前天神山城は三石城、金川城と並んで備前三大山城の一つに数えられる戦国山城である。築城者は浦上宗景で、宗景一代の栄枯盛衰を刻んだ城として知られたところだ。
北西より吉井川越しに城址を遠望
ちなみに交通費は
往路:中国自動車道 滝野社→美作2200円
復路:山陽自動車道 和気→三木小野2250円
民主党政権が発足したころは、料金も安くて大いに助かったものだが…。
2011年12月23日
初雪、そして遠来の客
天皇誕生日の朝、丹波篠山にはうっすらと雪が積もり、
ひねもす雪がちらほらと舞った。
週間天気予報では、この三連休は荒天、大雪になるところもあるそうな。
恋人たちにとってホワイトクリスマスは悪くないが、
そのような時代はすでに遠くなった山城ファンにとって雪は悩ましいもの。
でも、雪を見ると何となく心が弾むことも事実、
この雪で、丹波篠山は本格的な冬に突入したな〜。
2011年12月19日
大阪へ、福島氏の戦国講座を聴講
福島氏の講座「戦国の城と合戦」の三回目を聴講に大阪へ。
今日のお題は 『信長の軍団と実像-明智光秀の丹波攻略戦-』
今回のシリーズで、もっとも楽しみにしていたものだ。
今シリーズの受講者20人、運営側が資料の部数を間違えたらしい。
2011年12月18日
安積城跡見学会に参加して西播磨に遠征
今日は、宍粟城郭研究会の
安積城見学会に参加して、宍粟に遠征。
安積城跡は中世の武家、安積氏の詰め城だったところで
かねてより登山を目論んでいた城跡だ。
丹波の朝霜
集合時間は、宍粟市役所前に午前八時半!
朝霜で真っ白な装いの丹波を出発、中国道山崎インターへとひた走った。
天気は快晴、いい山城登りを楽しめた。
2011年12月11日
遠く伊賀国、もくもくファームに行く
なんとなく恒例になった感のある職場仲間との日帰りトレック。今回は、これまでのアウトドア志向とは趣が変わって、伊賀阿山にある「もくもくファーム」に遠征した。
参加メンバーは七人、レンタカーを駆って早朝の丹波路を京都方面へ。京都縦貫道沓掛インターを降りてビックリ!、名神大山崎インターと縦貫道とを結ぶ道路工事による沓掛界隈の変貌は凄まじい限り。桂を引っ越してより三年足らずでこの変化、これで西京の長閑な風景も、大枝の富有柿も終わったかな〜。
懐かしい桂を過ぎ、京都南インターから名神に乗り、草津ジャンクションを経て新名神甲南インターを出る。そこは甲賀仕様ともいうべき独特な縄張りで築かれた城館群が群集する甲賀の地、よく手入れの行き届いた丘陵が連なり、そこかしこに城館跡が眠っているように見える。
しかし、今日の遠征は城抜きである!邪念は捨て置き、車は一路伊賀へと攻め込んだ。伊賀にもいわくありげな旧家があちこちに、山城好き、戦国好きにはたまらん甲賀に伊賀!次に来るときは城攻めだっ!と思う間もなく「もくもくファーム」に到着。丹波から伊賀まで二時間半の行軍であった。
2011年12月10日
たつの北端に位置する香山城に登る
たつの市埋蔵文化財センター主催の香山城見学会に参加して、宍粟市に遠征した。
城跡のある香山はわたしの生家の川向う、我が家の血脈にも縁があり
高校時代の三年間、通学路として自転車で走った懐かしいところだ。
香山城は香山集落の西方にある山並みの麓に位置し、在地土豪香山氏が築いた城で
司馬遼太郎氏の「播磨灘物語」に悪党香山氏の城として書かれている。
黒田如水の父兵庫助職隆が出世の糸口をつかむ合戦で
悪党香山氏は兵庫助の計略によって討ち取られてしまうのだ。
しかし、香山氏、香山城の歴史を調べるほどに司馬氏の描く香山城の合戦は、
不自然なところが多く、いまではフィクションであったと確信している。
2011年12月04日
黒井城攻めの陣城を訪ねて春日町へ
つい先日、天々さんのガイドで黒井城跡を取り巻く陣城群に登ってから一週間、またまた春日町の陣城攻めに出陣した。かねてより兵庫県内の山城の所在地チェックに重宝している兵庫県立考古博物館作成の遺跡地図を頼りにして、柚津(ゆつ)城、上三井(かみみの)庄城を攻めてきた。
柚津城跡を東方より遠望
上三井庄城跡山麓の東漸寺(右手の山上に城跡遺構)
最初に上った柚津城は、先日登った東中城の真北に位置する城で、国土地理院の地図を見ながら登り口探しからスタート。往時はあったであろう城道はどこらへんにあったのかを推理しながら山麓をめぐるが、それらしい登り口は発見できない。となれば、谷筋から尾根筋へと登ることに決定、結局、道なき急斜面を激登った。
2011年12月03日
八上戦国ウォーク 奇跡的に晴れ…か?
今日は、八上戦国ウォーク 当日です。
心配していた雨もあがり、なんとか実行できそうでホッとしました。
ウォークのプログラムは、
中世城郭研究家で八上城研究の泰斗ともいうべき高橋さんのガイドで八上城登山、
足元が悪いかも知れませんが…
本丸で小休止のあと、地元小学生による模擬合戦、
模擬合戦は小学生が手作りした段ボール甲冑を身に付け、
波多野氏と三好氏の戦いを再現します。
そして、最後を飾るのは八上城を知り尽くした高橋さんの歴史講座です。
さて、戦国ウォークの結末や、如何に???