2011年06月26日

連日、篠山の山歩きに汗を流す

昨日、八上城東方にある曽地砦に登った。曽地砦は野々垣と曽地に挟まれた山稜にあり、曽地砦を中心として北方尾根先に曽地城、南に延びる尾根先に曽地奥砦が連なる城砦群を形成している。曽地は内藤氏が領したところで、東方にある弥十郎ケ嶽の西山麓には四十九院址、曽地の谷を南に越えていくと摂津三田へと通じる要地である。明智光秀の八上城兵糧攻めに際して、曽地の領民、四十九院の僧侶たちは波多野氏に味方して食糧を密かに運びいれたという。しかし、それを発見した光秀により僧侶たちは撫で斬りされ、曽地城砦群は明智方の八上城包囲網の一端をになう向い城となったのである。
曽地砦はこれまでに二度ほど城攻めを行ったがいずれも失敗、その後、おりおりに資料を集めて今回のチャレンジとなった。「篠山町遺跡地図及び地名表」 所収の地図に記されていた山道は途中で消えてなくなり、斜面を激登りした先の尾根筋は雑木と倒木が行く手を塞いでいて、当然ながら展望は全くなし。たどり着いた砦址はと言えば、生い茂る矢竹とわずかに曲輪切岸が残るばかりのところであった。せっかくなので、北方にある曽地城址再訪を目指したところ、尾根筋に見事な堀切状の地形があった。しかし、はたして城址遺構であったのかどうか…。

篠_曽地城址遠望
曽地方面より城址を遠望
篠_曽地城址矢竹 篠_曽地城址堀切
城址の矢竹    尾根筋の堀切跡?

なんとも不完全燃焼状態で下山したこともあって、八上城の野々垣登り口を探してみたが見つからない。それならと主膳屋敷址を探訪したところ、思いのほかに素晴らしい城址遺構であった。おりから雑木や夏草が茂っていたが、切岸、登り土塁、虎口などの残存状態は良好で、城道・、竪堀もよく残っている。遺構のほとんどが篠山城を築くときに資材として転用されたというが、一部に石垣も残っている。山上の山城部分の整備と併せて手を入れれば、立派な城館遺跡として再生すること間違いなしと思われるが、おそらくこのままなのであろう…惜しいことである。

今日は、昨日来篠した姉と相方が今田に焼き物を捏ねに出かけるというので同行、二人を送り届けた後は別行動をとって和田寺山に登ることにした。

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posted by うさくま at 10:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 山歩き

2011年06月21日

庭の花

梅雨の候、何気なく庭を見れば
昨年、手入れをして裸同然となっていた木々に葉がつき
雑草やハーブなど様々な花が咲いているではないか

花_空木 花_セキショウ

花_ハーブ 花_酢漿草

花_ギボウシ 花_ラベンダ

花_撫子 花_紫陽花

さらに、相方がプランターに
野菜の苗を植えたり、種を蒔いたり
この冬の雪景色が夢のような景色となった

プランタ_01 プランタ_02

花は咲けば散るばかりだが
プランターの野菜はどのような味わいを
食卓に届けてくれるのだろうか

posted by うさくま at 23:04| Comment(2) | TrackBack(0) | 花便り

2011年06月18日

丹波学トーク「京都丹波妖怪文化論」を聞く

昨年、社会現象ともなった朝のテレビ小説「げげげの女房」の影響でもないだろうが、妖怪が注目を集めている。戦後のそれ行けドンドンで作り上げた社会が崩れ去ろうとしているいま、かつて自然と共生していた日本の暮らしと、そこに息づいていた妖怪などが懐かしく見直されつつあるということかも知れない。

そのようなこともあってであろう、昨年より拝聴している「丹波学トーク」の今年度のテーマは「京都丹波妖怪文化論」で世界に誇る日本文化「妖怪」を探求しようというものである。仕掛け人は丹波の中世山城めぐりでご一緒させていただいた亀岡文化資料館館長の黒川氏で、「妖怪!やりますよ!」と開催案内をいただいた。水木しげる先生の大ファンで妖怪好きの一人としては「待ってました!」という企画であり、ウサクマ打ち揃って丹波亀岡へ遠征とあいなった。

妖怪学_資料 配布資料

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posted by うさくま at 02:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 聴講録

2011年06月14日

鳥の巣、その後

友人に聞いたり、改めて調べたりした結果
件の鳥の巣はムクドリであろうということになった。
いまも和室のサッシの片隅に存在しており、
日々、意識するでもなくその成長を見守っている。

この一週間の鳥の巣はといえば

鳥の巣_0608 鳥の巣_0609
8日>卵を残して散歩か?         9日>せっせと温めている
鳥の巣_0610 鳥の巣_0611
10日>親鳥は出かけて留守       11日>最初の雛が孵化した
鳥の巣_0612 鳥の巣_0613
12日>またまた孵化           13日>餌を運ぶ親鳥
鳥の巣_0614 鳥の巣_0614-2
14日> 踏んづけているように見える   珍しく両親が揃った

つぎつぎと孵化しているが、卵も二つほど残っているような…。
見ていると親鳥は雛の頭を踏んづけたり、居場所を入れ替えたり
なんとも乱暴な子育てである、が、雛も健気に生きている。
孵化しない卵が気にかかるが、さて巣立ちは何時頃になるのやら
生き物の成長を見るのは、実に楽しいものである。
posted by うさくま at 19:12| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記

2011年06月12日

八上城址の整備にボランティア参加

ひょんなことから耳にした八上城整備作業に参加してきた。
対象となるのは、主膳屋敷から本丸へと至る尾根道に設けられた
鴻の巣から上の茶屋丸までの曲輪群と城道で、整備作業は、
展望を邪魔する樹木、山道に伸び出た枝払いなどの除去が中心となった。

八上_作業
茶屋の壇の樹木を伐採
八上_眺望
西方面の見晴らしが良くなった

先日、八上城址に登ったとき、三の丸一帯が整備されていたが
それに続く作業ということで、地元の八上城をきれいにしようという
熱意が感じられて山城ファンとしては有難いことである。

参加者は地元のみなさん、篠山市役所の方など二十五人
三つの班に分かれて作業となった。
樹木に覆われていた鴻の巣の切岸や曲輪址や
木々が成長して見晴らしの悪くなっていた下の茶屋丸もスッキリ!
生い茂った木々の葉で薄暗かった山道も明るくなり
整備作業はまずまずの成果をあげて終了した。

八上_茶屋の丸 八上_鴻の巣曲輪
茶屋の壇の切岸も明確に  鴻の巣の曲輪もきれいになった

年末に八上城を会場とした 「戦国イベント」 企画が進行中とのことで
これからも折々に整備が続けられていくそうだ。
山城ファンの一人として、可能な限り参加、お手伝いさせていただこうと思っている。

posted by うさくま at 01:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2011年06月11日

会津坊さんをアテンドして綾部へ

会津地方の戦国時代と武将、なかでも山ノ内氏のコンテンツでは出色というべきサイト
「奥会津戦国記」マスターの会津坊さん(本名は伏す)が来丹された。


会津坊氏は戦国時代とは別に幕末の京都で活躍した会津藩士の歴史も調べておられて、丹波から綾部に残る会津藩士の足跡を訪ねて何回か来丹されているとのことであった。今年も鳥羽伏見の合戦で敗れた会津藩士が綾部の上林谷を通って若狭へ敗走した道、宿などを訪ねる予定というので、お節介かとは思ったがアテンドを申し出たのである。

上林-由良川 由良川−山家の渡し

綾部といえば旧知の95さんに、これこれしかじかと会津坊氏の来丹のことを話し、綾部上林谷に会津藩士に関わる史跡や伝承はないかと教えを乞うたところ、敗走する会津藩士を宿泊させた「ワカマツヤ」という旅館跡があるとのこと。さらに綾部歴史資料館の館長、郷土史家の方々も訪ねましょうと嬉しいサポートをいただけることになった。

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posted by うさくま at 17:25| Comment(2) | TrackBack(0) | 歴史探索

2011年06月06日

和室の窓サッシに鳥の巣が!

先日、相方が二階の和室西側の窓のところで鳥の巣を発見した。
擦りガラス越しなのでよく見えないが卵が七個あり、
鳥に詳しい相方の友人いわく「ムクドリでは、ないやろか?」とのことだった。

むくどり_卵
青色の卵が七つ見える
むくどり_和室
妙なところに巣作りをしたものだ

鳥の巣のある場所はといえば、
雨戸サッシと擦りガラスとの間のわずかな隙間で、
よくもま〜このような場所に巣を作ったものだと感心した。
親鳥も方向転換すらできないのではなかろうかと、余計な心配すらした。
一方で、あまり使っていない和室とはいえ、雨戸を開けることもなく
鳥が巣を作り、卵を産んだのちまで気づかなかった我々もわれわれである。

むくどり_親子
親鳥が卵を温めている−ムクドリか?

今朝、何気なく和室を覗くと親鳥が卵を温めている様子が見える。
こうなっては、卵が孵り、雛が巣立つまで
温かく見守っていくしかないわけで、和室は開かずの間とすることにした。
はからずも、生き物を観察する楽しみができたが、
雛鳥たちが巣立ったあとの始末は大変なんだろうな、きっと。

でも、なんという鳥なのだろうか…?
こちらも、ボチボチと調べていく楽しみが増えたというものだ。

posted by うさくま at 14:43| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記

2011年06月05日

但馬‐但東町にある金蔵寺城址に登る

山名氏城跡保存会主催の「金蔵寺城」見学会に参加して、ひさしぶりに但馬の山城に登ってきた。

集合場所は但東町虫生にある安牟加神社、時間は九時半ということで、早めに家を出て但東町へと向かった。舞鶴若狭道春日インターチェンジより豊岡自動車道に入り、山東インターチェンジを降りて夜久野町の天谷峠を越えて但東町へと至る道をひた走った。
天気は雲が多いもののまずまずの気配、集合場所へは二十分前位にはつきそうな按排で快適に走っていた。ところが、天谷峠手前の板生あたりで異音が…??。車を停めて見たところ、何と!左後方の車輪がパンクしているではないか!。集合時間に遅れるかも…?、なんとも前途多難を予感させる事態に気分が萎えたが、気を取り直して急ぎスペアタイヤに履き替え、どうにか九時半ぎりぎりに集合場所に到着することができた。

金蔵_パンク
スペアタイヤで何とか到着

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posted by うさくま at 05:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 山名氏城跡保存会

2011年06月04日

泉佐野に遠征、戦国史跡テクテク探訪に汗を流す

戦国倶楽部の佐吉さんと誘い合わせて、泉佐野にある「歴史館いずみさの」で明日まで開催されている企画展『泉佐野さむらい列伝』に出かけてきた。せっかく泉佐野まで遠征することでもあり、大阪夏の陣の前哨戦となった「樫井古戦場」のある樫井界隈も歴史散策してきた。

樫井_古戦場碑
樫井古戦場の石碑

企画展の目当ては日根野織部が考案して戦国時代に流行した「日根野形の兜」を実見すること、泉州の国人領主たちの歴史、泉佐野市域に残る中世の史跡(とくに山城址)の資料集めだ。

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posted by うさくま at 11:20| Comment(2) | TrackBack(0) | 歴史探索