2011年04月28日

周山城、須知城、丹波篠山の山城に登る

戦国倶楽部オフ会で京丹波の山城に登る。天気予報がイマイチだったこと、平日だったことなどもあって参加者は城郭ドットコムの播州さんと、クマこと播磨屋の二人という寂しいものであったが、内容はとても濃いものとなった。

周山城は今回で四回目の登山となるが、何度、登っても素晴らしい山城である。この冬に登った時は、降り続く雪で植林帯が散々な被害を受けて大手道からの山道は通行不能となっていた。今回は大手からの山道を利用できたものの、この冬の雪被害が深刻であったことがよくわかる無残な風景であった。今回は、東曲輪→主郭→西曲輪→土の城 をめぐった。

周山城の倒木
雪で倒れた木々が無残な姿を見せる大手道の斜面
周山_石塁 周山_石段 周山_石垣
本丸から石塁を見下ろす  西曲輪へと下る折れを持った石段  見事な石垣

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2011年04月27日

負けきらい稲荷を巡る

篠山には、「まけきらい」 という観光スポットがある。そのいわれは、約百七十年前の文政年間、毎年春と夏に行なわれた将軍上覧の大相撲にちなむものであった。

ときに老中をつとめていた篠山藩主青山忠裕もお抱え力士を出場させたが、連戦連敗、おおいに面目を失していた。ある年の春場所のこと、篠山から来たという王地山平左衛門ら八名の力士が江戸にあらわれ連戦連勝、負けきらいの忠裕はおおいに喜んで褒美をとらそうとした。しかし、かれらの姿はすでになく、のちに調べたところ領内のお稲荷さんであった。この話から「負けきらい稲荷」と呼ばれるようになったのである。

まけきらい稲荷絵馬
清五郎稲荷に奉納されたまけきらい稲荷の絵馬

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2011年04月26日

五台山に登り、香良城跡を攻める

兵庫丹波の旧氷上郡にある独鈷の瀧から市島町方面に抜ける美和峠経由で、鷹取山→五台山を縦走、下山の途中、林道経由で香良城跡を攻めてきた。香良城攻めは二度チャレンジしたが、いずれも天候に恵まれず途中で撤収という苦い思いをしたところだ。今日も午前中は曇り空であったが天気予報の「曇りのち晴れ」を信じて、三度目のチャレンジとあいなった。

計画では香良城に登ってのち五台山を目指そうとしたが、山麓の岩瀧寺の尼さんの「香良城へは林道からが安全」とのアドバイスをいれて、五台山→香良城にコースを変更。五台山へは独鈷の滝から不動堂を経て、そのまま谷川沿いの道をひたすら五台山に登るコースと、美和峠を経て鷹取山から小野寺山、そして五台山へと至る健脚コースとがある。

五台山からの眺望
五台山頂から山麓を眺望、手前に伸びる尾根先に香良城址がある

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2011年04月24日

高山寺城を攻め、弘浪山に登る

丹波の南北朝時代、丹波守護職に補任された仁木氏が居城とし、丹波守護代に任じられた荻野朝忠が割拠するなど、丹波における数々の合戦の舞台となった高山寺城に登った。高山寺城は高山寺を城塞化したもので、戦国時代の山城に比べると、戦闘主体というより戦略的に軍を動かすための拠点といった方がふさわしい城だ。

高山寺城を遠望
雨にけむる弘浪山 (高山寺城) を加古川越しに遠望

高山寺城のあった高山寺は兵庫丹波の旧氷上郡にあり、昭和三十六年に襲来した第二室戸台風の被害を受けるまで、弘浪山の山腹に法灯を守り続けてきた古刹である。いまも、かつての参道が東山麓より通じていて、そのまま城址への大手道となっている。古来より多くの人々によって踏み固められた山道は明確で、要所に道標も設置されていて迷うことはない。道は急峻な岩場を辿るところもあり気を抜けないが、途中の展望台、泥棒崩しからの眺めは氷上市街が一望できる素晴らしいものである。

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2011年04月21日

丹波の山城址の概略図作成にチャレンジ

相変わらず、天気がよい日は丹波界隈の山城に登っている。

山城の場合、大阪城や姫路城といった白亜の天守、見事な石垣があるものではなく、言ってみれば 「ただの山」 で、城址を探り当てるのも一苦労するところである。そんな山城に登るとき、なにかとお世話になるのが、役所の城址調査報告書や先に登った方々が描かれた縄張図(概略図)である。

むかしの資料では、地図上に楕円を書いて 「●●城跡」と書かれたアバウトなものが多かった。それが、曲輪ごとに楕円を書き並べたものに進化し、やがて曲輪や堀切などのパーツごとに書き分けられるようになった。

新庄城説明図 南丹市八木にある新庄城の概略図

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2011年04月19日

氷上沼城に登る

中世、氷上郡北西部に勢力を張った芦田一族の山城のひとつである沼城に登ってきた。沼城は先日登った東芦田城とは加古川を隔てた南正面に位置する山上に築かれた山城で、芦田一族の本城というべき栗住野城(館)の詰めの城といわれている。

沼城_遠望
東芦田城址主郭から沼城址を見る (手前の尾根ピーク)

城址遺構は東山麓に鎮座する六柱神社の後方山上にあり、集落の一角から登り道が通じている。六柱神社の境内に建てられた社殿改築に関する寄付者の顕彰碑を見ると、ほとんど芦田(蘆田)姓であった。東芦田城においても思ったことだが、氷上と青垣の境目にあたる芦田一帯は、いまも芦田氏の天下といっても過言ではないところである。

沼城_芦田名字 六所神社境内の石碑

城址へは、東山麓の沼地区からから登り道があり、途中には古墳群のようにも見える鉱石採掘場の址が口を開け、そこを越えると尾根筋から東に伸びる稜線へとたどり着く。かつて稜線上には行者堂があったというだけに、修験者が往来したであろう大岩が連続する山道を攀じ登っていく。

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2011年04月17日

大山崎町歴史資料館で応仁の乱を学ぶ

戦国倶楽部オフ会 「戦国を語ろう−応仁の乱を改めて学ぶ」 に参加するため大山崎町へ。
二月のオフ会で雪の山ア城に登ったとき、大山崎町歴史資料館にも立ち寄って学芸員福島さんに山アの合戦について熱い解説をいただいたことは、まだ記憶に新しい。
その後、企画展 「応仁・文明の乱と大山崎の油売り」 の案内をいただき、それなら、戦国倶楽部のメンバーと一緒に福島さんの熱い解説で応仁の乱を学ぼう!できれば懇親会にも参加していただこうということになったのであった。

大山崎町資料館チラシ

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posted by うさくま at 07:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 戦国倶楽部

2011年04月14日

兵庫丹波「戦国を語ろう」のチラシを作成

知る人ぞ知る 「ささやまペルー館」 のオーナーUeさんとは
同い年ということもあって、時折、訪ねて行っては歴史談義に花を咲かせていた。
それもあって相方が 「歴史談話会みたいなことをやったらどう」 などと言い出し
「それって、おもろいやん」 ということになって、今月の23日の土曜日に
ペルー館を会場にして 『兵庫丹波「戦国を語ろう」』 という談話会の開催が決定。
とりあえず、クマがナビゲータとなって進行役を努めます。

戦国を語ろう
↑ クリックすると拡大します。

何人の人が集まるかは分からないが、取り急ぎ開催チラシを作成、
これは!というところに貼ってもらうことにした。
どういうことになるやら、楽しみなような、不安なような…心持ちが、錯綜しているが
チラシを見たり、これを読んだりした人で
「面白そうだね!」 と思われた方は、ぜひ、参加ください。待っています。
会費は会場代として珈琲代300円となっています。
by kuma
posted by うさくま at 14:20| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記

2011年04月13日

丹波市島の山城−友政城・前木戸城に登る

昨日、快晴に誘われて丹波市島の山城群に登ってきた。最初に攻めた友政城址は、先日、余田城砦群を攻めたときにサクッと寄ろうとしたが、何故か?城址にたどり着くことができず、狐に摘まれたような気分で撤退したところだ。

今日はといえば、道端に呆気なく「友政(とんまさ)」の標識を発見、先日、迷って諦めたのが嘘のようにあっさりと登り口にたどり着けた。登り口一帯は「友政城山の里」として整備され、おりから桜が満開である。見事に咲いた桜の木の傍らには城址案内板、駐車場の一角に公園案内板などが立てられていて広い山道が城址へと伸びている。

友政_桜 見事に満開−登り口の桜

友政城は別名日裏城とも呼ばれ、市島町の東方に聳える高谷山から北西に伸びる尾根先に位置する南北に長い山城だ。主郭の案内板の説明によれば、戦国時代末期の天正のはじめ(1570年代なかば)に吉松石見守によって築かれたという。そして、吉松石見守の家老三谷友政が城主となり、天正五年(1578)十二月、明智光秀の部将明智光春の攻撃によって落城したという。とはいうものの、中世の市島東部一帯を支配した吉見氏が本城とした鹿集城の北方に位置することから、友政城は鹿集城の北の備えとして築かれ、吉松石見守は吉見氏の誤伝であろうか?とも思われる。

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posted by うさくま at 09:52| Comment(1) | TrackBack(0) | 丹波の山城

2011年04月11日

毎日文化セミナ「人物の語る戦国の城」第一回

ひさしぶりに大阪に出かけた。
目的は、毎日文化センターで始まる新講座 「人物の語る戦国の城」 の聴講、講師は昨年の黒井城、今年の周山城とご一緒する機会を得た福島克彦氏である。
福島氏は織豊城郭、戦国時代史、とくに丹波戦国史の研究では第一人者といっても過言ではない新進気鋭の研究者だ。

第一回目の今日のテーマは、「櫓から睨む男−絵画資料からみた櫓の発達」
まず中世城郭の歴史から入って、絵画資料からみた櫓の発達、文献資料からみた櫓、そして櫓台の遺構までを一時間半にわたって講義いただいた。
講座会場を見ると、ご老体が多い、月曜日のこの時間では若者は来ないわな〜と思ったものの、このような学べるところに若者のの姿が少ないのはちょっと残念ではあった。

講座が終わったあと福島氏と雑談、17日の戦国倶楽部オフ会 「戦国を語ろう−応仁の乱を改めて学ぶ」 で大山崎町歴史資料館を訪ね、福島さんに特別解説をいただくお礼と夕方の懇親会への参加をお願いして快諾をいただいた。
黒井城登山のときにもお聞きしたが、いま、夜久野町史中世編を書き進められていて、その執筆調査の段階で新たな古文書が発見されたといい、夜久野町史中世編の早い出版が待たれる。

せっかく、大阪へ出てきたのだから、ヨドバシカメラ、カッパ横丁などをブラブラする。
驚いたのは大阪駅の改装工事がほぼ完成していたこと、来月の初めのオープンに向けて急ピッチで進められているとのことで、どこもかしこもピカピカ状態、かつての煤けた大阪駅は姿を消していた。でも、物議をかもした新京都駅と同様に、個性がなくなったな〜と思うのはわたしだけではないだろう。

大阪駅界隈をブラツイタあと、むかしの同僚とひさびさの呑み会に臨む!
丹波にひっこんで丸二年、「都会(まち)は遠くなりにけり」である。
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2011年04月10日

美作の戦国山城攻めに汗を流す

戦国倶楽部オフ会で、美作の山攻めに行った。
先日のオフ会で案内されたが悪天候が予想されて、丹波の山城攻めに変更となった企画の再トライである。メンバーは、まいどお馴染みの佐吉さん、播州さん、そして播磨屋ことクマの三人となった。

篠山口駅で集合して、舞鶴道→中国縦貫道をひた走ること二時間、前方にいかにも山城といった山塊が見えてくる、一番目の城−葛下城だ。城址は大松山とよばれる山頂一帯に広がり、東に吉井川、北に中谷川が流れ、山麓を鏡野と久世を結ぶ古街道が走る要衝の地を押さえている。

美作-葛下01
葛下城址を遠望する

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posted by うさくま at 06:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 戦国倶楽部

2011年04月07日

篠山城の桜がほころぶ

ここ数日、暖かくなってきたこともあって、庭をみると雑草がめだつようになっている。
どうせヒマだし草むしりでもしようかとゴソゴソしていると
沈丁花はすっかりほころび、水仙も咲き出している。
世の中が色んなことで揺れ動いていても、季節は確実にめぐっている。

0407-庭の沈丁花 
0407-庭の水仙
沈丁花と水仙の花が庭に春を告げる

テレビを見れば、相変わらず地震と原発の報道が続いているが
その合間のニュースで、東京、大阪などで桜が開花、花見客も繰り出しているという。
こちら、丹波篠山では先週の土日「桜まつり」が開かれたが
無残にも蕾の状態という結果となっていた。
今日あたり、桜も咲いているのでは?と思って、篠山城へ出かけてみれば、
ポツポツと咲いているものの状況は一分から二分咲きといったところだった。

0407-篠山の桜 
水も温んできた堀端の桜がチラホラと咲きだした

0407-篠山の堀端 堀端で羽を休めろ鴨たち

この調子でいけば、この週末あたり篠山城の桜も見ごろを迎えそうだ。
この状況は一週間以上も前から分かっていたことなのに
花もない状態で 「まつり」 を強行するお役所仕事には、なんともガッカリすることである。

posted by うさくま at 19:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 花便り

2011年04月04日

江北と江南の「境目の城」鎌刃城に登った。

山城仲間の播州さんから 「鎌刃城に行きませんか」 との誘いを受け、
二つ返事で 「ぜひ、行きましょう!」 ということになり、近江に遠征してきた。
鎌刃城は江南と江北の境目に築かれた山城で、太尾山城・長比城などとともに 「境目の城」 と称されている。一昨年の秋、戦国倶楽部のオフ会にはじめて参加したとき登城候補にあがったのだが 「場所的に蛭が多いところなので寒い季節を選びましょう」 ということになって、そのまま登らずじまいになっていた。

江北-鎌刃01
中山道番場宿の街道より城址を遠望 (右手奥の山上)

鎌刃城は旧街道中山道の番場宿を見下ろす山上にあり、伝によれば番場宿の地頭であった熊谷氏が築いたことに始まるというが定かではない。とはいえ、番場宿の一角に土肥氏の屋敷跡が残り、そのすぐ背後の山上には詰めの城であったと思われる番場城址が残っている。おそらく、土肥氏が番場を治めていた当時、鎌刃城は見張台、あるいは狼煙台などの施設として機能していたのではなかろうか。

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posted by うさくま at 22:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 近江の山城

2011年04月02日

丹波綾部−上林谷の山城に登る

丹波綾部の上林にある上林禅寺で、今日から開催される「渋谷銑一の木彫展」を見に行った合間に、甲ヶ峰城、上林城、日置谷城に登ってきた。

上林-禅寺 上林禅寺より上林城址を遠望

最初に登った甲ヶ峰城は、上林谷を貫流する上林川と由良川とが合流する山家東方の甲ヶ峰山頂に築かれた山城である。城主は和久左衛門佐であったことから「左衛門屋敷」、また地名から「山家城」などとも呼ばれる。山麓には、江戸時代に山家を治めた谷氏一万六千石の陣屋跡があり、こちらも山家城址と呼ばれて紛らわしいことになっている。城主の和久氏は福知山一帯を治めた塩見氏の一族で、戦国時代後期、福知山から綾部に進出し甲ヶ峰城を築いたといわれている。

上林-甲ヶ峰遠望 
西方、上林川越しに山家陣屋址と甲ヶ峰城址を遠望 

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渋谷銑一氏の木彫展に行く

綾部在住の95さんから、綾部市上林谷にある上林禅寺で
上林在住の渋谷銑一氏の木彫展があるので行ってみられてはいかが、と
案内をいただいていた 『渋谷銑一の木彫展』 を見に行ってきた。

上林-木彫展01 上林禅寺本堂に並べられた木彫群

上林谷へは、昨年の秋、95さんの案内で葛礼本神社にある「シャクジ(石神)」を
見学に訪れたとき、その長閑な風景が我が故郷の景色にそっくりで
なにやら懐かしい気持にさせられたことを思い出す。その一方で、
過疎の気配も濃厚で、実際、小学校が廃校になったりし、人口も減少傾向にあるそうだ。

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posted by うさくま at 18:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記