2011年01月11日

近江浅井氏のコンテンツを作成

今年の大河ドラマは 「江−姫たちの戦国−」 である。
というわけではないが、「戦国大名探究」 に 『近江浅井氏』 のコンテンツを追加した。

近江国は鎌倉時代のはじめより近江源氏佐々木氏が守護職をつとめ、近江南部を嫡流の佐々木六角氏、北部を庶家佐々木京極氏が治めた。結果として近江国は佐々木一族がおおいに繁衍した。一方で蒲生・今井・山中といった他姓の武家たちは、中世の戦乱のなかで両佐々木氏に仕えて近江の戦国時代に足跡を刻んだ。

浅井氏はといえば、古い記録に京極氏に仕えたことが知られるが、応仁の乱の後に忽然と歴史に登場してくるのである。京極氏は応仁の乱において持清が東軍の有力者として活躍、嫡流にあたる六角氏をしのいで近江守護職に任じられた。持清の率いた江北の武士のなかには浅井氏もいたであろうが、その動向は当時の史料などからは見出せない。

浅井氏コンテンツ

近江浅井氏は亮政のとき歴史の表舞台にあらわれ、あれよあれよ!という間に京極氏に代わって江北の覇者となった。文字通り、亮政は下剋上の人物であり、近い時代を生きた北条早雲、斎藤道三と並び称されてもいい戦国の梟雄である。亮政の孫長政は、永禄三年八月、十五歳の初陣で宿敵佐々木六角氏を破ると一気に近江の戦国大名へと駆け上った。奇しくも、長政が六角氏を破った年の五月、尾張の織田信長は桶狭間で今川義元を討ち取っていた。ときに信長は二十六歳、長政より十一歳の年長であった。

亮政の下剋上、長政の鮮やかな登場、そして三姉妹の歴史への関わり
江北の戦国大名−浅井氏、
大河ドラマを楽しみつつ、ジックリと探っていきたいと思っている。
posted by うさくま at 14:23| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記