2010年12月31日

2010も今日で終わり


2010年も今日で終わりだ。
昨日来の雪が残っているところに
朝方より降りだした雪で街はあっという間に銀世界。
なにやら、年末にいたって雪に降る日が多い、
これは、会社などの休みで空気が澄んできたせいなのだろうか?


大晦日の雪-1 → 大晦日の雪-2
今朝の雪 : 左) 08:50 右) 10:25 みるみる積もっていった。

大晦日の雪-3 かくして、街は雪景色に

29日に長女が帰ってきて、昨晩に次女夫婦
そして、今日、長男夫婦が帰省してきた。
みんな元気に新しい年を迎えられる、ありがたいことである。
それにつけても、
一年、アッっちゅう間!本当に速い…
posted by うさくま at 09:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2010年12月25日

やっと、宇津城址に登った。

かねてより、登城を計画しながら実現に至らなかった宇津城址、
やっと、念願かなって攻略した。

宇津城は丹波国東部に位置する宇津庄を押さえ、小粒ながらも戦国大名として一勢力を築いた宇津氏が本拠とした山城である。
宇津氏の祖という頼顕は土岐頼遠の子に生まれ、頼遠が没落したのち高雄の神護寺に匿われて成長した。成人した頼顕は神護寺領有頭郷に起こった土一揆を制圧したが、神護寺に帰ることなく有頭郷を押領してしまった。そして、在名にちなんで宇津豊後守頼顕と名乗ったという。かくして、宇津豊後守は宇津八幡宮の後ろの山に居城を築き、近隣に勢力を伸ばしていったのであった。

宇津_城址遠望
大堰川方向より城址を遠望 (2006-11/25)

宇津城は山上の主郭を中心として、北方尾根筋に二段の曲輪と大堀切、主郭の南側と西方に腰曲輪が築かれている。山国荘・弓削荘を中心に東丹波一円に影響力をおよぼした宇津氏の本城としては、意外に小振りな城である。
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posted by うさくま at 19:34| Comment(2) | TrackBack(0) | 丹波の山城

2010年12月19日

天牛書店へ行った。

三日間の大阪行きから久しぶりに丹波に帰る。
途中、千里の桃山台にある天牛書店の本店に寄り、
前から欲しかった群書系図部集全七巻を発見、躊躇うことなくゲット。

天牛で買った
これで 9,640 円!

他にも、歴史系の古本を購入!
天牛は良い本が安い!
いや〜、いい買い物をしたな!
posted by うさくま at 19:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2010年12月12日

亀岡市のイベントにのって黒井城址に登る

昨日、亀岡市文化資料館の山城登り企画に参加して丹波黒井城跡に登った。
案内役は戦国山城研究家の第一人者ともいえる福島克彦氏、
福島氏は黒井城の発掘調査にも関わられていて、ガイドとしては最高の人である。

黒井-1212-1 春日駅方面より城址を遠望

天候はあいにくの雨模様であったが、集合場所の春日駅をスタートして城址登り口に向かう。途中、春日の街中に残る、かつての黒井城下町の説明を聞きながら黒井城主赤井直正の居館址(下館)興禅寺に立ち寄り、山上の城址を目指した。続きを読む
posted by うさくま at 10:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 丹波の山城

2010年12月09日

加西市の「ふるさと再発見ハイキング」に参加して小谷城へ

加西市観光まちづくり協会主催のふるさと再発見ハイキング「赤松ゆかりの小谷城址と石仏探訪」に参加して小谷城に登った。

このハイキングは十月に参加して河内城に登って以来、二度目の参加だ。今日の行程は北条鉄道北条町駅集合・出発→阿弥陀堂→よばりこき地蔵→陽松寺→祐尚墓碑→小谷城址→東尾根縦走→円融寺→北条鉄道北条町駅解散という約五キロのコース、地元の歴史に詳しい加西市歴史街道ボランティアガイドさんの案内で訪ね歩いた。

加西歩き-説明 後方に小谷城址が見える

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posted by うさくま at 07:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史探索

2010年12月08日

今日は京都へ

むかしの同僚らとの忘年会で、久しぶりに京都に行った。
途中、加西図書館に拠って北摂の戦国関連の資料を探したが
期待したものはなく、やはり兵庫県下では県立図書館が一番かも。

三年間、通った四条烏丸駅を出ると、烏丸交差点は妙にスッキリ
かつて工事中だったビルが完成、それだけのことで風景は一変だ。
街はクリスマスのディスプレィで彩られていたが
妙にアッケラカンとしたムードで、年末の慌ただしさはない
不景気もあるのだろうが、ドンドン季節感は失われている。

四条通りをブラブラと古本屋・電気屋に寄ったりしながら
四条河原町の交差点に。なにやら、むかしに比べて暗い、

夜の河原町

そうか、阪急百貨店がなくなったことが影響しているのだ
京都最大の繁華街である河原町の目抜き場所ともいうべきところが
この元気のなさは、どうだろう…。ビックカメラ、ヨドバシカメラが
進出したJR京都駅前の勢いに完全におされているようにみえる。

六時半、待合せ場所の南座前に到着。
いまお騒がせの市川海老蔵の看板を探したが、すでにおろされていた。
格好の写真ネタだったのだが、残念!
ともあれ、町屋を改築したいという焼き鳥屋で忘年会スタート、
ワイワイ過ごしているうちに終電タイム、京から丹波は遠いのである。

posted by うさくま at 12:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 街歩き

2010年12月07日

篠山おもしろゼミナール「山城編」に参加

丹波ささやまおもしろゼミナールで金山城と淀山城に登る。今日は朝より小雨模様のスッキリしない天気であった。前回の宝函印塔めぐりのときもそうだったが、なぜかゼミナールに参加した日は天候がすぐれない。小雨決行ということだったので集合場所に行くと、すでに市バスが来ており、見れば中高年の方が多い。丹波市主催の「講座・丹波学」でも感じたことだが、高齢者の方々の歴史好きには頭が下がるものがある。もっとも、バリバリ働いている人が平日の山城登りに参加するとは思われないが。
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posted by うさくま at 10:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 篠山の山城

2010年12月06日

綾部、大槻氏の山城−高津城・栗城に登る

丹波の中世史に名を残した武家に大槻氏がある。一説によれば清和源氏の流れといい、氷上郡の芦田氏、荻野氏、赤井氏と同族というが、信頼に足る系図が伝来していないこともあって実際のところは不明というしかない。

大槻氏は京都府の西部に位置する中世に高津荘と呼ばれた地域(綾部市西部)に勢力を築き、一帯には大槻氏一族が築いた山城址が散在している。綾部の大槻氏は、高城城に拠った家、栗城に拠った家、そして、高津城に拠った家とに大別されるようだ。

綾部高津八幡宮
高津城山麓に鎮座する高津八幡宮

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posted by うさくま at 18:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 丹波の山城

2010年12月04日

綾部でカボスのポン酢づくり

昨日、綾部の95さんから電話があり、
ポン酢を作るので来ませんか?とのお招きであった。
聞けば、父上が植えられたカボスの木が一本あり
毎年、皆でワイワイと収穫して手製のポン酢を作るとのこと
早速、誘いに甘えて厚かましく95さん宅へ参上した。

95さん宅に集まった面々はウサクマを入れて総勢六人、
今年は夏の暑さもあってカボスの実りはイマイチだそうで
アッという間に収穫は終了、95さんいわく昨年の半分以下だという。

貰ったカボス

収穫の途中、参加者の一人Dさんが
カボスの木のすぐ側にある柿の木に残されたクマの爪痕を発見された。
今年の丹波はクマ被害が例年になく深刻だとは聞いていたが
95さんのカボスの木は民家の庭先と言ってもいい場所にあり
あまりにも身近なところにクマが出没していることにリアルに驚かされた。

収穫したカボスは洗うこともなく手で絞り、火を通すこともなく漉したものを
95さんが独自のレシピでポン酢化される、実にプリミティブな製造法である。
三日ほどねかせれば完成とのことだが、暮れの餅つき大会の日に
配っていただけるそうで、この冬はこのポン酢で鍋を突付く楽しみができた。

ポン酢づくりの作業が終わったのちは昼食会、メニューは
スッポンスープ、自家製ウドン、綾部産の猪肉に京丹波産の新米
さらに朽木産の鯖熟れ寿司、自家製のでかい梅干
ここでしか食えないものばかりだ。美味しいか不味いかは意見が
わかれるところだが、贅沢といえばまことに贅沢な昼食であった。
デザートはウサ製のパウンドケーキ、
ちょっと焼きすぎたというものの評価は上々だった。

奇妙といえば不思議な集まりだが、サラリーマン生活のころにはなかった、
なんかホッとする空気を感じている自分に気付くのも楽しいことだ。

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帰ったら、待望の甲賀市史:第七巻「甲賀の城」が届いた。
早速、目を通したが、素晴らしい内容!これで3500円は安い! 
甲賀市史第七巻のレベルで、
各自治体が自らの土地に存在する山城を網羅した自治体史を発刊していけば、
戦国時代史の研究がさらに進むこと請け合いなのだが…。

posted by うさくま at 08:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2010年12月02日

芦田氏の足跡を訪ねて、小室城へ。

兵庫丹波で気になる名字の一つに、いま丹波市となった旧氷上郡に分布する芦田(蘆田)がある。そもそも丹波の芦田氏は系譜的には信濃源氏井上氏の一族で、平安時代の末期に丹波に移住して土着、赤井・荻野・大槻など中世の丹波に足跡を刻んだ諸氏が分かれ出たという。

その芦田氏が本城としたのが小室城(東芦田城)で、標高519メートルを測る吼子尾山の頂上にある。城址へは山麓にある胎蔵寺傍より山道があり、迷うことなく頂上の城址まで登ることができる。丹波ではお馴染みの獣柵から山道に入ると両脇に旧胎蔵寺の堂宇址が連なり、その柵平地の多さと見事な石垣群に往時の繁栄ぶりがタイムパックされている。芦田氏は一帯の領主として胎蔵寺にも強い影響力を及ぼし、後方の山上に居城を築いたものであろう。

小室城遠望
栗住野より城址を遠望

小室城山麓寺院跡
山麓に残る胎蔵寺址の平坦地と石垣群

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posted by うさくま at 08:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 丹波の山城