2010年11月29日

三尾城攻めの陣城、譲葉山城に登る

戦国時代の丹波氷上郡(現丹波市)に勢力を誇った赤井氏、後屋を本拠として、黒井城、高見城、三尾城などの城塞を築いて八木城主内藤氏、八上城主波多野氏と丹波を三分、赤井直正は但馬にまで勢力をおよぼした。

永禄十一年、織田信長の上洛を契機として丹波の戦国時代は転機を迎え、赤井氏ら丹波の武士たちは信長と対立、信長の命を受けた明智光秀の丹波攻めに抵抗を続けることになる。その最前線を担ったのが赤井幸家の守る三尾城で、三尾城は赤井氏と結ぶ波多野氏が支配する多紀郡とを繋ぐ要地でもあった。

譲葉山遠望
柏原市街より譲葉山を遠望

光秀は氷上郡と多紀郡を分断するため多紀から氷上に通じる鐘が坂峠に金山城を築き、さらに夏栗砦、栗柄砦、そして譲葉山城の陣城群を築いて赤井氏の抗戦を封じ込めていったのであった。
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posted by うさくま at 19:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 丹波の山城

2010年11月28日

龍馬伝が終わった。

2010年の大河ドラマ『龍馬伝』も今日の放送で最終回を迎えた。
むかしの大河ドラマは、12月中ごろまで放映していたように記憶しているが
最近は年末特番を放送するせいか最終回が早くなっているようだ。

さて、いまから143年前の慶応三年(1967)11月15日
坂本龍馬は何者かによって暗殺された。享年三十三歳、若い!
龍馬暗殺の犯人としては
 1) 新撰組説
 2) 京都見廻組説
 3) 薩摩藩説
 4) 紀州藩説
 5) 土佐藩説
などの説がなされているが、いまに至るまで真犯人は特定されていない。
 
今回の『龍馬伝』をみていると、ドラマの早い段階から
薩摩藩黒幕説に立ったストーリー運びになっているように思われる。
かくいうクマも龍馬暗殺の黒幕(下手人)は、
薩摩藩であろうとする説がもっとも腑に落ちる! と思っている一人だ。

今回の「龍馬伝」は、これまでにない竜馬像をつくったものだけに
新しい解釈をもって幕を閉じるであろうと期待していた。
ところが最終回、通説通り見廻組が犯人であった。
先週の放送まで新味をだしまくっていたが、
意外とノーマルな最終回だったな〜、ともあれ龍馬に合掌。

posted by うさくま at 17:32| Comment(0) | TrackBack(0) | ドラマ(TV)を楽しむ

2010年11月27日

久下城・母坪城に登り、講座「丹波学」を聴講!

今日は、講座「丹波学」の第二回目、
テーマは『南北朝時代の丹波−足利尊氏の動向を中心に−』
講師は八上城跡登山にご一緒した亀岡市文化資料館長の黒川さん
講座のなかでは一番楽しみにしていたものだ。
開講は二時からということもあって、道中に位置する
久下城と母坪城に登ってから会場に行くことにした。

久下城を遠望
東方より久下城址を遠望

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posted by うさくま at 18:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 丹波の山城

2010年11月23日

篠山戦国フェスティバル

先日、篠山市立図書館で「篠山戦国フェスティバル」があることを知った。
朝は戦国コスプレ大会とかで、
甲冑を着た武者が篠山城で観光客を出迎え
戦国武将好きの皆さんが戦国コスプレを勝手気儘に披露するというものであった。

戦国フェス_コスプレ

戦国フェス_紅葉 折からの紅葉と大書院

昼からは篠山城の大書院において
講演会と篠山を熱く語ろう!という企画が催された。
講演は八上城主波多野氏の子孫にあたられる方の話、
大書院歴史資料館の方による篠山築城に関する話を拝聴、
そのあとは持ち寄ったお宝披露というもので
熱く語る!ということはなく、やや肩透かしな感は否めなかった。

篠山戦国フェスティバルが今回限りのイベント企画だったのか
これからも続けていこうとされているのかは分からない。
ただ、戦国篠山をアピールするイベントとして
例えば市内に散在する戦後山城と上手に組み合わせていけば
新しい観光の柱に育つ可能性を感じさせるだけに
継続的に開催する方向で頑張ってほしいものだ。

posted by うさくま at 08:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 街歩き

2010年11月21日

赤松一族永良氏の居城、谷城に登った。

回復しない病気で入院している旧友を見舞いに たつの へ出かけた。
せっかく播州方面に行くことでもあり、
市川の谷城にちょっと寄り道して行った。

谷城は先日、城郭ドットコムさんと登った鶴居城の南に位置し
城主は鶴居城と同じ赤松一族の永良氏であった。
谷城は主郭を中心に曲輪が取り巻く梯郭式の山城で
北に続く尾根をたどって行けば、鶴居城へと続いている。

谷城主郭
南腰曲輪から見た主郭と切岸

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posted by うさくま at 19:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 播磨の山城

2010年11月19日

丹波−紅葉の名所を訪ねる

先日、篠山の紅葉の名所洞光寺の紅葉まつりに行ってきたが
続いて今日、さらなる丹波−紅葉の名所を訪ねてきた。
ひとつは篠山丹南地区味間奥の大国寺
もうひとつは丹波市山南町にある石龕寺だ。

大国寺は本堂の東山腹にある稲荷神社からの眺めが抜群で
朱・紅・黄に彩られた木々のコントラストが素晴らしかった。

大国寺紅葉-1

大国寺紅葉-2
燃えるような大国寺の紅葉

石龕寺は足利氏ゆかりの古刹で、山腹にある奥の院には
京を逃れた足利義詮が滞在した古跡、それを取り巻く山城址が残っている。
目当ての紅葉は参道から仁王門、本堂に至る境内一帯に
競うように広がっている、とくに庫裏あたりの紅葉は見ものであった。

石龕寺紅葉-1
奥の院の紅葉

石龕寺紅葉-2 鮮やかな町石とのコントラスト

境内のポスターを見れば、明日は紅葉まつりが催され
足利尊氏・義詮などが練り歩く武者行列も行われるという。
戦国ファンには見逃せないイベントではあるが
明日は所用があるため、来年の紅葉まつりを期すことにした。

丹波の紅葉も来週いっぱいくらいで見ごろを終え
木々も葉っぱを落として本格的な山城探索シーズンを迎える。
山道に散り敷いた落葉の絨毯を踏みしめながら山城を訪ね歩く
まことに贅沢な季節−晩秋の到来である。

posted by うさくま at 16:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 街歩き

2010年11月17日

黒井城の陣城、白毫寺城に登る

戦国時代、丹波氷上郡を支配した戦国大名赤井直正の拠った黒井城は、京丹波の八木城、篠山の八上城と並んで丹波三大山城の一つに数えられる。

赤井直正は織田信長と対立、信長の命を受けて丹波に攻め入った明智光秀と対峙、八上城主の波多野秀尚と結んで、光秀を敗走させるということもあった。光秀は直正の拠る黒井城を封じ込めるための付城(陣城)を築き、いまも黒井城の周囲に陣城址といわれる山城址が散在している。
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posted by うさくま at 17:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 丹波の山城

2010年11月10日

三開山城に登る

先日、豊岡埋蔵文化財センターのSさんから「豊岡城館調査報告書」を送付いただいた。城館とあることから「城」「館」を調査した報告書と思い込んでいたわけだが、実物は「豊岡城」「館」の調査報告書であった。こちらから頼んで送ってもらったものだけに購入すべきところだが、求めた記述・挿画はない。あつかましいとは思ったが、Sさんにお願いして返本させていただくことにした。そんなこともあって、本の返却と失礼のお詫び、併せてSさんに但馬の山城情報を教示いただこう、加えて文化財センターすぐのところにある三開山攻めも…と豊岡に出かけて行った。

和田山に着いたあたりから空模様が怪しくなり、文化財センターに到着したころから小雨がぱらつき出しだ。さらに、訪ねたSさんは不在であった。仕方なく学芸員の方に本を返却し、三開山城の情報と但馬方面のクマ出没情報を聞いたところ、一週間ほど前に三開山城近くでクマが捕獲されたという。センターを辞して外に出ると雨、加えて「やはり、クマ出るか〜」、ともあれ三開山城の登り口だけでも見ておこうと目星を付けた東南山麓にある住宅街へと車を走らせた。

三開山城を遠望
北方から見た三開山城址

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posted by うさくま at 18:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 但馬の山城

2010年11月06日

シャクジを訪ねて綾部へ

この初夏、たまたま知り合った95さんより
綾部にあるシャクジを見に来ませんかと誘われていた。
併せて李政美さんのコンサートもあるとのことで、
旧友のH君を誘い綾部に出かけた。

シャクジとは磨き上げられた石で石神とも書かれ、
その形は陽根そのものである。
御産の守り神としての信仰も集めていたという。
案内された神社境内の祠に祀られたシャクジは
高さ一メートル近い立派なものであった。

綾部-シャクジ 祠に鎮座するシャクジ

学問的には縄文時代の集落の中心に立てられたものといい
二千年以上の歳月を経た石器である。見方を変えれば、
縄文の信仰が現代にまで保たれてきた印ともいえそうだ。
物言わぬシャクジが重ねてきた歳月を紐解くことができれば
忘れ去られた日本の歴史が姿を現すことは疑いない。
そう思ってみれば、シャクジの存在はまことに神々しい。

一方、李政美さんのコンサートも素晴らしいものであった
政美さんは在日朝鮮人として生まれ、日本で育ち音大に学ばれた。
若いころ、在日としての存在に悩んだ時期もあるというが
その歌声は聴いているうちに思わず眠くなる柔らかで優しい、
自分の生き方に自信をもった人ならではの力強いものであった。

綾部-李政美さん
その澄んだ歌声には、心和まされた

シャクジと李政美さんのコンサート、
それぞれ同一線上で語れるものではないが
いずれも不思議な力があり、ひさしぶりに心和まされた。
posted by うさくま at 07:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 街歩き

2010年11月03日

宇野氏が拠った東胡麻城、野化館を攻略

京丹波日吉町域の野化館、東胡麻城に登った。
どちらも日吉町域の中世土豪宇野氏が築いた城で、宇野氏は同じく日吉町域の有力土豪で田原城、亀井城に拠った小林氏と抗争したことが知られている。いまも、野化館の周辺には旧城主の子孫という宇野家があり、城址への道を教えていただいた方も宇野さんであった。

日吉-東胡麻城を遠望
東胡麻城址を遠望

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posted by うさくま at 18:29| Comment(2) | TrackBack(0) | 丹波の山城

2010年11月02日

本郷の草山城址に登る

篠山市旧西紀町域の最北端に位置する本郷は、中世、草山荘があったところで、
戦国期には国人領主細見将監が勢力をふるった。
細見氏は紀貫之の子孫を称し、天田郡三和の細見谷から起こったと伝え、。
三和から草山、東北方の鎌谷にかけては細見一族の城砦が散在し、
細見氏宗家が本拠としたのが多紀郡草山荘の本郷であった。
本郷における細見氏の居城は細見氏の菩提寺松隣寺後方の山上にあり、
『丹波志』には里の館が本郷集落の台地にあったと記されている。

以前、細見氏の歴史を調べたころ、草山城にも登ろうとしたが
松隣寺の方が裏山にはダニがたくさんいるので止めた方がいいとおっしゃる。
しかも、城址調査にきた役所の方がダニだらけになったとのことである。

草山城からの眺望
草山城址から本郷の町を俯瞰

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posted by うさくま at 17:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 篠山の山城