永禄十一年、織田信長の上洛を契機として丹波の戦国時代は転機を迎え、赤井氏ら丹波の武士たちは信長と対立、信長の命を受けた明智光秀の丹波攻めに抵抗を続けることになる。その最前線を担ったのが赤井幸家の守る三尾城で、三尾城は赤井氏と結ぶ波多野氏が支配する多紀郡とを繋ぐ要地でもあった。

柏原市街より譲葉山を遠望
光秀は氷上郡と多紀郡を分断するため多紀から氷上に通じる鐘が坂峠に金山城を築き、さらに夏栗砦、栗柄砦、そして譲葉山城の陣城群を築いて赤井氏の抗戦を封じ込めていったのであった。
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2010年の大河ドラマ『龍馬伝』も今日の放送で最終回を迎えた。
むかしの大河ドラマは、12月中ごろまで放映していたように記憶しているが
最近は年末特番を放送するせいか最終回が早くなっているようだ。
さて、いまから143年前の慶応三年(1967)11月15日
坂本龍馬は何者かによって暗殺された。享年三十三歳、若い!
龍馬暗殺の犯人としては
1) 新撰組説
2) 京都見廻組説
3) 薩摩藩説
4) 紀州藩説
5) 土佐藩説
などの説がなされているが、いまに至るまで真犯人は特定されていない。
今回の『龍馬伝』をみていると、ドラマの早い段階から
薩摩藩黒幕説に立ったストーリー運びになっているように思われる。
かくいうクマも龍馬暗殺の黒幕(下手人)は、
薩摩藩であろうとする説がもっとも腑に落ちる! と思っている一人だ。
今回の「龍馬伝」は、これまでにない竜馬像をつくったものだけに
新しい解釈をもって幕を閉じるであろうと期待していた。
ところが最終回、通説通り見廻組が犯人であった。
先週の放送まで新味をだしまくっていたが、
意外とノーマルな最終回だったな〜、ともあれ龍馬に合掌。
先日、篠山市立図書館で「篠山戦国フェスティバル」があることを知った。
朝は戦国コスプレ大会とかで、
甲冑を着た武者が篠山城で観光客を出迎え
戦国武将好きの皆さんが戦国コスプレを勝手気儘に披露するというものであった。
折からの紅葉と大書院
昼からは篠山城の大書院において
講演会と篠山を熱く語ろう!という企画が催された。
講演は八上城主波多野氏の子孫にあたられる方の話、
大書院歴史資料館の方による篠山築城に関する話を拝聴、
そのあとは持ち寄ったお宝披露というもので
熱く語る!ということはなく、やや肩透かしな感は否めなかった。
篠山戦国フェスティバルが今回限りのイベント企画だったのか
これからも続けていこうとされているのかは分からない。
ただ、戦国篠山をアピールするイベントとして
例えば市内に散在する戦後山城と上手に組み合わせていけば
新しい観光の柱に育つ可能性を感じさせるだけに
継続的に開催する方向で頑張ってほしいものだ。
回復しない病気で入院している旧友を見舞いに たつの へ出かけた。
せっかく播州方面に行くことでもあり、
市川の谷城にちょっと寄り道して行った。
谷城は先日、城郭ドットコムさんと登った鶴居城の南に位置し
城主は鶴居城と同じ赤松一族の永良氏であった。
谷城は主郭を中心に曲輪が取り巻く梯郭式の山城で
北に続く尾根をたどって行けば、鶴居城へと続いている。
南腰曲輪から見た主郭と切岸
先日、篠山の紅葉の名所洞光寺の紅葉まつりに行ってきたが
続いて今日、さらなる丹波−紅葉の名所を訪ねてきた。
ひとつは篠山丹南地区味間奥の大国寺
もうひとつは丹波市山南町にある石龕寺だ。
大国寺は本堂の東山腹にある稲荷神社からの眺めが抜群で
朱・紅・黄に彩られた木々のコントラストが素晴らしかった。
燃えるような大国寺の紅葉
石龕寺は足利氏ゆかりの古刹で、山腹にある奥の院には
京を逃れた足利義詮が滞在した古跡、それを取り巻く山城址が残っている。
目当ての紅葉は参道から仁王門、本堂に至る境内一帯に
競うように広がっている、とくに庫裏あたりの紅葉は見ものであった。
奥の院の紅葉 鮮やかな町石とのコントラスト
境内のポスターを見れば、明日は紅葉まつりが催され
足利尊氏・義詮などが練り歩く武者行列も行われるという。
戦国ファンには見逃せないイベントではあるが
明日は所用があるため、来年の紅葉まつりを期すことにした。
丹波の紅葉も来週いっぱいくらいで見ごろを終え
木々も葉っぱを落として本格的な山城探索シーズンを迎える。
山道に散り敷いた落葉の絨毯を踏みしめながら山城を訪ね歩く
まことに贅沢な季節−晩秋の到来である。
篠山市旧西紀町域の最北端に位置する本郷は、中世、草山荘があったところで、
戦国期には国人領主細見将監が勢力をふるった。
細見氏は紀貫之の子孫を称し、天田郡三和の細見谷から起こったと伝え、。
三和から草山、東北方の鎌谷にかけては細見一族の城砦が散在し、
細見氏宗家が本拠としたのが多紀郡草山荘の本郷であった。
本郷における細見氏の居城は細見氏の菩提寺松隣寺後方の山上にあり、
『丹波志』には里の館が本郷集落の台地にあったと記されている。
以前、細見氏の歴史を調べたころ、草山城にも登ろうとしたが
松隣寺の方が裏山にはダニがたくさんいるので止めた方がいいとおっしゃる。
しかも、城址調査にきた役所の方がダニだらけになったとのことである。
草山城址から本郷の町を俯瞰
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