2010年10月31日

戦国倶楽部の企画で矢筈城に登った。

朝起きて外を見ると曇り空のすっきりしない天気であった。ウッディハウス加茂をチェックアウトしたのち、城郭ドットコム播州さんと連絡を取り合って美作河井駅前で待ち合せ。途中、城主草刈氏の菩提寺であった成興寺、草刈景継の墓所によって河井駅前で播州さんと合流、戦国倶楽部の佐吉さんはトラブルで来れなくなったそうで播州さんとウサクマの三人で矢筈城攻めとなった。

矢筈城は戦国時代に美作国と因幡国にかけて勢力を有した草刈氏の拠った城で、岡山県内では最大の山城である。天文元年(1532)に衡継が築いた山城で、以後、景継・重継の三代の居城となった。標高756メートルの山上に位置する主郭は全国屈指の高さにあり、山麓との比高差は426メートルという険しい要害の地である。

矢筈城を遠望
河井方面から矢筈城址を遠望

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posted by うさくま at 18:56| Comment(0) | TrackBack(1) | 戦国倶楽部

2010年10月30日

台風のなか、山城サミットに行く

待ちに待った山城サミット(おかやま「中世山城の祭典」)に参加するため津山に出陣。
外は台風の影響もあって雨、最悪の場合、本土に上陸するという予報も出ているが
運を天に任せて、中国道をひた走ること170km、二時間とちょっとで午前中に行われる史跡見学会の舞台となる岩屋城に到着。まとまって登るのかと思っていたが、資料を受け取ると自由に登ってくださいとのことであった。

岩屋城に登る
登山前に紐を締めなおす相方

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posted by うさくま at 06:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2010年10月29日

街道テクテク旅が終わった。

街道テクテク旅熊野古道編が、今朝、
目的地の伊勢神宮下宮にゴールインして終わった。

街道テクテク旅は、一昨年、四元奈生美さんが
四国八十八ヶ所をめぐるシリーズを見たのがはじめで、
八十八ヶ所の旅は四元さんのキャラもあって、その面白いこと、
放送終了後の再放送、総集編まで見てしまった。

この春からは、元テニス選手の森上亜希子さんが旅人となって
熊野古道を踏破するシリーズがスタートした。
熊野古道は近い将来、歩いてみたいところだけに
げげげの女房→街道テクテク旅が毎朝の定番となった。

てくてく旅

はじめこそ、森上さんという人を知らなかったこともあってなんとなく見ていたのだが、
回を重ねるごとに森上さんのへタレでアッケラカンとしたキャラが爆裂!
春編、そして秋編とほぼ欠かさず見てしまった。
ウサクマのもくろむ 「熊野古道テクテク旅」 への、
いい旅のヒントとコースガイドをいただいた。

げげげの女房も終わり、街道テクテク旅も終わってしまった。
朝の楽しみが一挙に二つなくなってしまったのは、
なんとも寂しいことではある。
posted by うさくま at 18:06| Comment(0) | TrackBack(0) | ドラマ(TV)を楽しむ

2010年10月27日

「となりのツキノワグマ」 を読んで

あんなに暑かった夏が過ぎ去って、いまでは、朝夕、肌寒さを感じるようになった。
木々が葉を落とす晩秋は、山城探索シーズンの幕開け、
樹木に隠されていた山城の遺構群が姿を現す絶交の季節である。ところが、今年は盛夏の影響で山の木の実が不作とかで、クマたちが人里に出没、すでに昨年をうわまわる被害者が出ているようだ

動物学者にいわせれば、クマは山の荒廃で、年々、減少傾向にある希少動物とのことだが、宮崎学氏の 「となりのツキノワグマ」 を読むと、実は増加傾向にあるのだという。
宮崎氏は長野在住の動物写真家で、クマが減少しているという説に疑問をもたれ、2005より集中的にツキノワグマを撮影されている。宮崎氏のクマは増加しているという話は、フィールドワークに裏打ちされた撮影成果によるものだけに説得力がある。
また、宮崎氏が撮影したツキノワグマたちの写真はなんとも可愛らしく愉快なものが多い。
「となりのツキノワグマ」 の写真を見ていると、クマとヒトがうまく共存できる道は必ずある!と思えてくる。

となりのツキノワグマ
「となりのツキノワグマ」より、なんとも可愛らしいクマのアクション

とはいえ、里山の崩壊、植林地の荒廃などによってクマとヒトの境界線が曖昧になり、クマにとって
唯一の天敵であるハンターが銃規制の強化による減少一方ということも相俟って、これからもクマの個体は増加、ヒトがクマと遭遇する機会は、さらに増えていくことになりそうだ。加えて、今年は山の不作による栄養摂取不足で冬眠しないクマも出るらしい。

この晩秋から来年の初春にかけて、丹波・但馬から播磨北西部の山城群への登城を計画していたが、京都府のクマ目撃情報マップを見ると丹後はクマだらけで、京丹波も相当数のクマが出没しているようだ。但馬、兵庫丹波、北播磨もレッドゾーンにあるとみて間違いないと思われる。城址でクマと遭遇、乱闘のすえに討死というのは避けたいところだ。
さて、どうするか !?
思い切ってクマとの合戦を想定して、甲冑を着て登るというのもありかな…。
by kuma
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2010年10月23日

赤松在田氏発祥の城、北播磨河内城に登る

加西市観光案内所が主催される 『ふるさと再発見ハイキング「戦国期の城址 河内城登閣」』 にウサクマも参加して河内城に登った。
河内城は室町時代から戦国時代にかけて加西市域を中心に北播磨を支配した赤松一族衆の領主在田氏が築いた城で、九月に登った段の城、野間城、光領寺城に続いて、ぜひにも攻略したいと思っていたところだけに、いい機会に恵まれた。

河内城登山口

集合場所である加西市北部公民館の東側駐車場に集まった参加者は20名くらい、九時半過ぎ、先達ともいうべき加西市歴史街道ボランティアガイドさんの引率でスタート。
途中、いまやゴルフ場の中に浮かぶ小島のような満久城を見つつ、登山口に鎮座する六処神社に参拝し、よく手入れされた登山道を河内城へと登り続ける。河内城一帯は「河内 ふれあいの森」として整備され、要所に道標が立てられ、河内城の出丸であろうか途中の小山には真新しい東屋も建っている。木立もいい感じに伐採されていて、のどかな山歩きも楽しめる登城路だが、本来の登城道は散策路の所々にあらわれる旧道であったかと思われる。

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posted by うさくま at 12:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 播磨の山城

2010年10月21日

但馬から播磨、山城めぐり

昨晩、城郭ドットコムの播州さんから
「山城に行きませんか」とのお誘いを受け、当然ながら快諾!
但馬から播磨方面の山城に登ってきた。

篠山口駅で七時半に合流、まずは生野城を目指した。丹南篠山口ICより春日ICへ、そこから多可町方面へ西走、神河町を北上して生野に到着、約二時間のドライブであった。
生野城は二年前の夏、田舎に帰省する途中にウサと娘二人と銀山を観光、生野城にも登ろうと言って却下されたところである。それもあって、機会があれば登りたい山城だっただけに播州さんの誘いは 「待ってました!」 というものであった。

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posted by うさくま at 19:11| Comment(0) | TrackBack(1) | 但馬の山城

2010年10月17日

播磨長水山城址、篠ノ丸城址に登る

昨日、亡父の七回忌の法要で田舎に帰り、久しぶりに会う叔父、叔母、従兄弟など懐かしい人々に会ってきた。
せっかく、播磨は宍粟市に行ったのだから田舎に一泊して
宇野氏が羽柴秀吉軍を迎え撃った長水山城址、篠ノ丸城址に登ってきた。

長水山城址は二度目の登城で、前回は五十波からの林道を行けるところまで車で行って、そこから登るショートカットコースだった。今回は城址から南に伸びる尾根筋先端に位置する生谷より取り付き本来の大手口になる伊水小学校へと下るコースをたどった。
長水山は宍粟50名山に選ばれたこともあってか登山道が整備され、生谷の登山口は「伊沢の里」として公園化されていた。公園からはラジオ体操の音楽が響き、見れば老人会のみなさんであろうか、ゲートボール前の柔軟体操をされていた。

生谷からのコースは広い林道が中腹まで延びているが、途中の新池より尾根筋の道に分け入った。
尾根先の下三津-四等三角点からは山崎の街並み、篠の丸城址が一望できる、尾根道は明確で、三津への分岐など、ところどころに標識もあり迷うことはない。やがて、植林地帯に入ると林道の終点があらわれ、中ほど412mピークの五十波-四等三角点に到着。下三津の三角点のところでも感じたが、いずれも出曲輪を思わせる地形だ。五十波の三角点が尾根道のほぼ中間点あたりになる。ほふどなく尾根道は展望台を過ぎ、下町への分岐あたりからのどかな雑木林となり、前方に水剣山、右手の山麓に五十波が見えるエッジのような尾根へと続いていく。

長水山城から山崎を見る
尾根先端の三角点より山崎の街並みを見る

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posted by うさくま at 19:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 播磨の山城

2010年10月10日

黒枝豆狩を初体験

今日は「10」が三つ並んだ2010年10月10日、
つぎに「10」が三つ並ぶのは百年後と思えば、
なにやらスゴイ日のような気になってくる。

昨日より始まった「丹波篠山味まつり」の観光をかねて
昨晩、姉夫妻がやってきた。
ちょうど、丹波篠山の黒枝豆狩のチラシが入っていたこと
もあって、
まず、枝豆狩に行ってのち、味まつりの会場に行こうということになった。

黒枝豆狩り

もっとも実家は兼業農家だったから豆の収穫を手伝ったことはある。
しかし、当時は枝豆を食するということはなく、
ちゃんと大豆として成熟してからの収穫作業であったため、
成熟前の大豆、しかも黒枝豆狩は初体験であった。

2010年10月10日、
次に「10」が三つ並ぶ日に出会えることはないだろう
なんとなく、記念すべき日の思い出ができたような気もするが・・・。
by kuma

posted by うさくま at 15:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2010年10月08日

連荘で篠山の山城に登る

昨日、今日と連荘で篠山界隈の山城に登った。
昨日は丹南町域の油井西城と岩崎城、
今日は西奥山砦と幡路の鉄砲丸、いずれも小さな城ばかりだ。

岩城城からの眺望 岩城城址からの眺望

油井西城は油井酒井氏の油井城の支城というべき存在で
油井城西方にある大歳神社後方の山上にあり
油井城と呼応して三田方面からの篠山侵攻に備えていた。
 
岩崎城は八上城の支城の一つ谷山城の北西に位置し
城址からは篠山西方の旧丹南町域が一望でき、
後方に谷山城、真正面に波多野氏の重臣であった井関氏の拠った吹城址が見える。
さらに、北方には多紀連山の主峰-三岳の雄姿が望める好立地にある。
 

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posted by うさくま at 22:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 篠山の山城

2010年10月07日

丹波から但馬へ山城めぐり

こだわりの山城サイト…城郭ドットコムを発信されている三宅播州さんのメールに接し、
昨日、荒木城の再訪から但馬の山城まであつかましく同行
いま、撮りまくった写真の整理が終わった。

但馬磯部館
曲輪の遺構がみごとに残る但馬磯部館
 
荒木城は篠山の細工所にある山城で、今回で三度目の登城だ。
山麓の細工所館から取り付き、途中の出曲輪をたどりながら山上の主曲輪群へ、山上曲輪群は初めて登ったころに比べると潅木が生い育っているが、城址遺構群はもとより、城址そのものの広大さは十分に伝わってくる。
播州さんは縄張り図を自分なりに描くための訓練を重ねているとのことで城址のところどころで、先人の書かれた縄張り図と現地の遺構を比較されている。
城址遺構は戦国時代の築城当時に比べると、時の経過による記録の喪失、地形の変化などによって、往時の姿をたどることは難しい状況となっている。その結果、見る人によって城址の姿がさまざまに捉えられ、縄張図あるいは予想図として再現されることになる。そこには、個々人の主観が大きく作用するため、難しい論争になることもあるらしい。

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posted by うさくま at 04:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 山城探索

2010年10月05日

京丹波日吉町の山城−田原城・亀田城・大戸城に登る

今日はちょっと目先を変えて、京丹波日吉町域の山城探索に遠征、日吉の 田原城と亀田城、そして胡麻の塩貝城を攻略した。いずれも小さな城ばかりだが、丹波の中央に位置し、西丹波の勢力と東丹波の勢力がぶつかりあう難しいところを守る山城群である。

いまは南丹市になった日吉から胡麻あたりは、かつて船井郡に属していた。北に上れば美山へ、西に行けば何鹿・天田郡、南西には園部から篠山、そして南東に通じる道は京へ至る交通の要衝であった。いまも、京を発した山陰本線が通じ、主要地方道が集まる交通の要衝である。

大戸城主郭からの眺望
大戸城主郭から西方を望む

戦国時代、日吉から胡麻を支配していたのは小林氏であったことが、最近、発見された古文書から知られるようになった。文書によれば小林氏は、八木城主として丹波ににらみを利かした内藤宗勝に属し、内藤氏と対する丹波黒井城址の赤井氏に備えていた。続きを読む
posted by うさくま at 20:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 丹波の山城

2010年10月01日

妖怪大図鑑展を再訪

盆休みに行ってきた妖怪大図鑑展…、
あまりの人手で展示されている妖怪原画をジックリと鑑賞できず
なんとかもう一度行きたいものと思っていたところ
次女の ポチ が招待券を二枚送ってきてくれた。

会社の先輩からいただいたそうだが忙しくて行けそうにないとのことで
  「妖怪大図鑑展の招待券、貰ってんけど、いる?」
「ほんま! 欲しかっってん、ぜひ、チョーダイ」
  …で、早速送ってきてくれた。
ありがたく受け取って、ウサと二人で行ってきた。 
 盆に行ったときほどではないが、それでも会場はけっこうな人出で
げげげ人気が半端ではなかったことを実感。

改めて見た水木先生の妖怪原画は素晴らしい!
じっくりと妖怪図鑑を堪能したあとはグッズコーナーへ
目当ては 「ヌリカベ」 のヌイグルミ人形だ。
前回、買おうとしたところウサが
「いいオヤジが大人気ないモノを買わんとき」
「ヌリカベくらい作ってやる」などと言った。
しかし、一向に作ってくれそうな気配はない、
ということで、今回、ウサに馬鹿にされながら入手したのだ。

ぬりかべ

げげげの女房が終わってしまったのは寂しい限りだが
妖怪大図鑑展 を二度見りことができ
「ぬりかべ」も入手できた…、まずは終わりよしということかな。
by kuma
posted by うさくま at 17:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記