2009年10月25日

無花果を食す

昨年、植えた無花果の木に生った四つの実が、
無事、色付いた。
一番陽の当たるべき昼時が、家の陰になることから
実が付いてから、ずいぶん青いままだった。

無花果-青

なんとなくアキラメつつあっただけに喜びはひとしおだ。
早速、収穫して食したところ、見事な甘さであった。

無花果-熟

来年はもっとたくさんの実が生るように
手入れをしなければ!と思うものの
どのように手入れをすれば無花果がもっとも喜ぶのか・・・?

まことに頼りないことだが
まずは「お礼肥」というのを買いに行こう! by kuma
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2009年10月22日

京都三大祭りの一、時代祭を見る。

葵祭、祇園祭と並ぶ京都三大祭りの一つ、時代祭を見てきた。
時代祭は明治二十八年(1895)に京都遷都1000年を記念して始まったもので
歴史も浅く祭りとして熟成していない感じがしていたことと
すでに見物しているウサが「大掛かりな仮装行列や」と言っていたこともあって
なんとなく「見たい!」というほどのものでもなかった。
しかし、行列の衣装群、とくに室町から戦国時代における甲冑は見たかった!
ということで、時代祭を見物してきた。
 
時代祭-列頭
 
時代祭は明治28年(1895)に平安遷都1100年を記念して、 平安京を創始した桓武天皇を御祭神として創建された平安神宮の秋祭りとういうべきものである。京都の誕生日というべき10月22日に、平安神宮創建を祝して京都市民をあげて始められた。

To Be Continued
posted by うさくま at 23:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 祭り

2009年10月15日

丹波篠山、大芋に山城を訪ねる

篠山市街東方にある大芋は、中世、絵所土佐家が預する大芋荘であった。この大芋荘から起こった国人領主が大芋氏で、丹波守護細川氏の被官として勢力を伸ばした。応仁の乱に際しては細川氏に属して出陣したようで、乱後に成った家紋集『見聞諸家紋』に大芋氏の「並び雁に菊水」紋が記されている。そうして、大芋氏は荘内の地侍や名主などと姻戚関係を結んで同族的武士団(党)を結成、戦国時代の兵庫助慶氏は細川高国から所領安堵状をもらっている。 やがて、八上城に拠った波多野氏が多紀郡一帯を支配するようになると、大芋党はその麾下として活躍した。そして、荘内の福井集落にある古刹玄渓山豊林寺後方の山上に豊林寺城を築いて本拠とし、福井城主の森本氏、中村城主の山上氏らとともに丹波の乱世に身を処した。


大芋-マップ


豊林寺城へは豊林寺後方の谷筋を登っていったが、途中で道はなくなり急坂を這うようにして城址のある尾根へとたどり着いた。城址遺構は山上の電波中継施設を中心として、東西に伸びる尾根上に連なっている。東側が主体で広々とし主郭を中核に、腰曲輪、段状の曲輪、竪堀が設けられている。西方の尾根先の曲輪には三角点があり、東南部に腰曲輪、さらに尾根筋に堀切が切られている。城址一帯は樹木に覆われて視界は利かないが、かつては福住から園部に通じる街道を東方に見下ろし、北方に八ヶ尾山、東方に雨石山・櫃ヶ嶽、西方に小金ヶ嶽から三岳が見通せる要害の地であった。


大芋-豊林01 大芋-豊林02

主郭西南部の腰曲輪  主郭北西部の竪堀
 
To Be Continued
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2009年10月14日

丹波黒豆のシーズン到来

丹波篠山の「秋の味覚」といえば松茸だが、
いま、松茸に勝るとも劣らない人気なのが丹波黒豆(黒大豆)だ。
その大粒でシッポリとした贅沢な食感は、丹波黒豆ならではのものである。


丹波黒豆の誕生には面白い話が伝わっている。

むかし、川北に情け深い名主がいた。春も近いある日のこと、
病に罹って苦しんでいる旅の僧を助け家で養生をさせていた。
その年は一滴の雨も降らず、田はひび割れ、困った村人たちは
「よそ者が村に入りこむと不幸があるという、名主のところの坊主が悪いのじゃ」
と言い出し、名主のところへ押しかけると乱暴を始めた。
たまりかねた坊さんは、「名主さんに乱暴をしないでください。
お蔭さまで病も治りました、お礼に何か残していきたい」と言った。
すると村人の一人が、「それでは、この豆に芽を出さしてみろ」と
白大豆を黒く煎ったものを突き出した。
坊さんは煎られた豆に願をかけ、ひび割れた田を耕すと
お経を唱えながら煎り豆を丁寧に蒔きおわると何処かへと旅立っていた。
やがて、豆は芽を出し、立派に育っていった。そして、
秋にはつやつやとした「黒大豆」がたくさん取れたということである。
(丹波ぶらり散歩道より)

黒豆-川北 伝説の地川北の豆畑

かくして生まれた丹波の黒豆は、ふっくらとして黒く輝く色つやと
皮がむけずに煮上がるのが特徴で「日本一!」との評価が高い。
江戸時代、篠山藩主は毎年、特選の「丹波黒大豆」を
将軍に献上して面目を施していたという。
かつては、伝説の地である西紀地区川北の「川北黒」、
篠山中央部日置地区の「波部黒」がとくに有名であったが、
いまは「丹波黒」で統一されて、品種のさらなる改良に努められているそうだ。

デカンショ街道をはじめ、篠山を通る主要な道路沿いでは、
いまや秋の風物詩となった黒豆の販売所が
数珠つなぎになって旬の味覚を販売している。
すでに先の三連休で買われて、食された方も多いのではなかろうか。


黒豆-販売所 黒豆-印 黒豆-頂戴物
西紀の黒豆販売所  篠山黒豆課の認定証  販売所の御婆さんに貰った記念の品
 
伝説の真偽はともかくとして
丹波の黒豆を茹でた「枝豆」をツマミに飲むビールは格別である。
今年もお世話になった方々に
ささやかながら丹波の「秋の味覚」を送らせていただいた。 by kuma
posted by うさくま at 18:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2009年10月11日

篠山の秋祭り 民俗芸能を見る!

この三連休、篠山市では「味祭り」が開催されており、1000円効果もあってたくさんの人出で賑わっている。一方、市内各地の神社でも秋祭りが目白押しである。
国道176号線を北上すると、篠山口駅西すぐの大沢八幡神社、西古佐の二村神社、町ノ田の池尻神社、大宮下の追手神社、追入の追入神社と数珠繋ぎ状態で秋祭りが開催されている。それぞれ御輿が出て元気一杯なのだが、ウサクマ一行は池尻神社の「人形狂言芝居(浄瑠璃)」と追入神社の「こども三番叟」を見物しに行ってきた。


「人形狂言芝居(浄瑠璃)」は、勇壮な御輿の宮入ののち、桜が描かれた幕を張っただけの簡素な舞台で演じられる。物語は神社に立ち寄った若者の八重垣が、大蛇を退治して、人身御供の稲田姫を救うという内容で、お囃子は拍子木と太鼓だけである。 クライマックス近く、敵役の大蛇が舞台左手から登場するとそのユーモラスな姿もあって境内が一気に沸く。なんとも素朴で、愛すべき素晴らしい民俗芸能だ。現在、「人形狂言保存会」を組織しして保存継承に尽力されているといい、平成四年三月に大阪・国立文楽劇場で公演を行ったという技術の高いものである。

篠山-人形浄瑠璃

追入神社の「こども三番叟」は篠山市内では唯一の「三番叟」で、かつて宿場町であった追入を往来した旅芸人によって伝えられたものだといわれている。まず、面を着けない三人の子どもが一人ずつ、一番叟、二番叟、三番叟と続けて踊る。合間を入れたのち、白い翁面と黒い翁面(黒木尉と白木尉)を着けた二人の子どもが「鈴の舞」を奉納する。子どもたち踊るさまは、まことに真剣で、相当の練習量をこなしてきたことがうかがわれる。懸命に演じられる舞台上の所作は微笑ましく、見入っているうちになんとも愛でたい気持ちに満たされてくる芸能だ。

篠山-追入祭

いずれも素晴らしい民俗芸能だが、昨今の高齢化と少子化(いわゆる過疎化)、ライフスタイルの変化などによって後世に伝えていくための課題は多いという。先日の新聞には人口の集中する都市部においても、祭礼の存続が困難な状況になりつつあるという投書が掲載されていた。池尻神社の「人形狂言芝居(浄瑠璃)」、追入神社の「こども三番叟」に限らず、丹波篠山で奉納される数々の民俗芸能が、これからも変わることなく続けられていくことを願ってやまない。これら丹波篠山の愛すべき素晴らしい民俗芸能を、より多くの方々に、その目で、その身体で楽しんでほしいものだ。 by kuma
posted by うさくま at 20:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 篠山歩き

2009年10月09日

一揆と戦国大名 を読む

読書の秋、到来!
久留島典子氏の「一揆と戦国大名(講談社学術文庫)」を読んだ。

これまで、「戦国時代」といえば「下剋上」が合言葉のように頭に浮かび
合戦に明け暮れる武士、戦乱に脅え逃げまどう庶民たち

というイメージがちらついた。
しかし、戦国時代が
そのように
単純な時代とも思えなかった。

1980年代の終わりごろから多くの研究者の実証的な研究によって
たとえば、
北条早雲の素性、武田信玄像の本当の像主、
長篠合戦における織田信長の鉄砲三段撃ちの実態など
これまで語られていた戦国史の通説が大きく塗り替えられつつある。

久留島氏はそれら多くの研究成果を踏まえながら
明応の政変をスタートに、織田信長が上洛するまでの約百年間の時代を
大名・領主から百姓・町人らがいかに新時代にむかって生きたか
「帰属の一元化」をキーワードとして丁寧に叙述されている。


久留島氏文庫

これまでの戦国史に対するモヤモヤした気持がスッキリする
いま、もっとも新しい戦国時代史を読める
一押しの一冊である。

2001年に世に出た本で、その存在も知っていたのだが
迂闊にも、今回、学術文庫化されるまで読まずに過ごしていた。
なんとも、わが目の節穴ぶりに嘆いている。  by kuma

posted by うさくま at 18:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書

2009年10月05日

伝統が息づく篠山の秋祭り

この土日、小野原住吉神社と佐佐婆神社の秋祭りを楽しんだ。いずれも篠山市内では古くからある神社で、祭礼も古式がいまもよく守られているところだ。

小野原住吉神社の祭礼の見ものは、宵宮に奉納される「蛙おどり」である。「蛙おどり」は、「稲刈りや稲木かけ・脱穀の動き、収穫を終えた田に鶴が舞い降りる姿を表現する踊りで、豊作を祝う農耕儀礼を芸能化したものだといわれ「惣田楽」と「いずまい」の二種類が奉納される。
「惣田楽」は締太鼓三名とビンザサラ五名で演じられる。最初は前屈みでビンザサラを腰の下で上下にふる「「やすみ」、ついでビンザサラを肩の上で花のように開く「こつ」、最後はビンザサラを腰の前で振り上げる「しこう」を三度ずつ繰り返し、「へーツ、へーツ」という掛け声が夜の神社にコダマする。 続いて行われる「いずまい」は締太鼓三名と踊り子三名で行われ、締太鼓に合わせて踊り子が一人ずつ演技を行う。最初は小さく、ついで中くらい、最後は大きく両手を広げる所作を行い、最後は三角形に飛び跳ねる。これを一つの流れとして三度繰り返し、三人三様に演じられるのである。


篠-田楽s
「へーツ、へーツ」の掛け声が印象的な「惣田楽」

To Be Continued
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2009年10月03日

ナイトスクープを見た。

甲冑を着て岐阜城に登ったナイトスクープが放映された。
 
すでに、番組収録のときに仕上がったビデオは見ていたのだが、
あまりにも照れくさ過ぎる家族愛メーンの話になっていた。
ウサ・ポチ・クマともども「ちょっと、恥ずかしな〜!」ということで、
ナイトスクープの一件は、身内や友人はもとより

周囲の知り合いなどにも、ことさら知らせることはしななかった。

NS_1002放映
 
ところが、姉や姪、古い友人などから、「見たで〜」とのメールや電話が、
なかには「感動した!」「え〜家族やな〜」との声も…、
いやはや、テレビという媒体の恐ろしさと
ナイトスクープが超メジャー番組であることを実感した。
 
実態はともあれ、甲冑を着ての山城マジ登り
カンニング竹山さんとの掛け合いは楽しかった!
取材の日以来、嵐のような日々が過ぎていったが
今年は色んなことがあるな〜と、感慨ひとしきりである。

by kuma
posted by うさくま at 06:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記