2009年08月28日

篠山、山城探索行

ここのところ晴天が続いていることもあって、篠山界隈の山城攻略に汗を流している。相方のウサは藪と虫を嫌がって留守にまわることが多く、リュックを担ぎ、手ぬぐいを首に捲いて気楽に一人で登っている。ここ数日間は、丹南地区の味間南城、吹城、南矢代城、そして篠山東方にある南山城に登って来た。 

4城_地図
まず22日、篠山の古刹の一つである松尾山文保寺参道にある二村神社の石鳥居、そこから見える南東の小山にある味間南城に登る。尾根の最高所に主郭を置き、北側に曲輪を設け、三方に小曲輪を築いた小さな城である。城跡の東側にある墓地より道があり、ほんの十分足らずで登ることができた。堀切もなく、主郭を除けば自然地形といってもいい状態で、ほとんど砦的な規模のものである。文保寺の背後の松尾山にある高仙寺城とそこから続く大沢城と連携しながら、味間北城とともに味間谷の入り口を押えていたようだ。


4城_味間01 4城_味間02 4城_味間03
不思議な文字の石碑  南端部の土塁  主郭北端の虎口

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2009年08月26日

亀岡の猪倉城・法貴山城・穴太城をハシゴする

盆休みと悪天候とが重なって、しばらく山城登りを休んでいた。サクッと篠山の南山城に登ったのが弾みとなって、亀岡に遠征、猪倉城、法貴山城、穴太城を一気呵成にハシゴ登りしてきた。

法貴-遠望
穴太方面から法貴山城を遠望
 
  まず猪倉城は、国道372号線を京都方面から湯の花温泉街を抜けてすぐに開ける本梅盆地の中央の小山の上にある。記録によれば、戦国時代の天文年間(1532〜55)、中沢豊後守知綱の支配下にあったという。小さな城だが、山上の曲輪から山麓まで落とされた竪堀と南側に掘られた百メートルにおよぶ横堀が見事に残っている。曲輪は「く」の字型で南の曲輪は横堀に沿って土塁が築かれ、北方の主郭は、左右と北側に腰曲輪が築かれている。それぞれ切岸も高く切られ、小ぶりな縄張りながらよくまとまった造りである。また、主郭の西方には武者隠しであろう塹壕状の遺構も見所のひとつだ。

猪-竪堀 猪-横堀 猪-土塁
山上から落ちる竪堀  南面を防御する横堀  曲輪を取り巻く土塁


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2009年08月22日

やはり、赤塚不二夫は天才だった。

ビッグコミックオリジナルの最新号を見ていたら、
赤塚不二夫展の告知広告が掲載されていた。
広告のメーンキャラクタは、赤塚ワールドの数あるキャラクタのうち、
バカボンのパパであった。 

バカボンのパパ

これまで見慣れているはずのバカボンのパパだが、
なぜか圧倒的な存在感で迫ってくる。
 
無表情な目といい、鼻の下のイカ足鬚といい、アングリあけた口といい
アホ面に変わりはないのだが、その完成度といい、哲学性といい
タダモノデハナイ、迫力のない迫力が充満しているのだ!
 
バカボンのパパは、
赤塚不二夫の生み出したキャラクタのうち最高峰の存在であり、
赤塚不二夫の分身そのものであり、
間違いなく、天才の所産というしかないキャラクタだ! 
赤塚藤不二夫は、やはり天才であった!

悟りとも阿呆ともいえぬバカボンのパパを見て、
「それでいいのだ!」 と、なんだか嬉しくなった。 ・・・なんでだろう?
 
by kuma
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2009年08月19日

鷺草を見に西光寺山に登る

篠山市の最西端、丹波と播磨の国境に聳える西光寺山は、鷺草の自生群落と姥目樫(ウバメガシ)の自生北限地として知られる山だ。また、かつて山腹には金鶏山西光寺があって、修験者が往来するところであったという。金鶏山西光寺には「金の鶏」の伝説があり、山号はそれにちなんだものである。かねてより気になっていた山で、鷺草の咲くころを見計らってウサクマ一行の登山とあいなった。

西光-遠望
登り口から西光寺山を見る

西光寺山への登山口は、篠山市の今田側と西脇市の中畑側にあり、いずれも整備された登山道が山頂まで続いている。鷺草は今田側に自生群落があり、見頃を迎えた可憐な鷺草の花を見学したのち、寺屋敷方面との分岐点に設けられた東屋を横目に頂上を目指した。

西光-鷺草
鷺草の群落

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2009年08月16日

丹波篠山デカンショ祭へ

丹波篠山、最大の夏祭り、デカンショ祭に行ってきた。
デカンショ祭の起源は意外に新しく、第二次大戦後の昭和二十七年の夏から始まった。それまで、旧篠山町内の各地域で行われていた盆踊りを一つに統合して、篠山町の総盆踊りとして開催されるようになったものである。祭りは盆の15・16日の二日間開催され、いまでは篠山の代名詞となった一大ページェントだ。

デカンショー踊るs
 
町中に吊るされた提灯に灯が入ると、お馴染みの「ヨーオイヨーイ、デッカンショ」の掛け声で総盆踊りが始まる。連とよばれる踊り手に交じって帰省した家族連れ、観光客の人々が踊りの輪に加わり、踊りは次第に熱気を帯びていく。

デカンショ-石垣 デカンショ-飾り デカンショ-踊りの輪
 
今年は篠山城築城四百年の節目の年にあたり、国内最大級の木造やぐらが組まれ、篠山のキャラクタであるマルイノ、デカボウ、イノッキーたちもダンシング、一層の華やかさに彩られた。

デカンショ-マルイノ デカンショ-デカボウ デカンショ-花火
 
そもそもデカンショ節とは、江戸時代より多紀郡一帯で歌われていた「みつ節」が源流といわれ、明治時代になると全国的に愛唱されるようになり、大正時代にはデッコンショ節などとも呼ばれていたようだ。その語源は、丹波杜氏として出稼ぎに行っていたことから「出稼しよう」が訛ったものとか、鳳鳴出身の学生たちが、デカルト、カント、ショペンハーウエル等の哲学者の名の頭文字を取ったものであるとかいわれている。他にも掛け声の「ドッコイショ」が変化したものだとか、方言の「デゴザンショ」から訛ったなど諸説があるが、祭りは楽しむが一番!同じあほなら踊らにゃ損損・・・は、デカンショ節にはなかったかな!?  by kuma
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2009年08月15日

夢に見た水木ロードを歩く

我が家族は、揃いも揃って水木しげる先生が大好きで、
先日は長女とウサと三人で、妖怪五十三次展に出かけてきたばかりだ。
で、盆の帰省がてらに水木しげるロードに「行かへん?」
「行こか!」ということになった。

墓参をすませたのち、山崎インターで中国道に乗り、米子自動車道経由で境港まで、
途中、大山の雄姿を眺めながら、ひたすら走ること約二時間半、…日本海は遠い!

水木-境港s
水木さん生家すぐの境港の海

駐車場に車を停め、シャトルバスで境港駅へ。
ついに、夢に見た水木しげるロードに到着だ!
自動販売機、駅のコンコース、郵便ポスト、交番まで
文字通り、街は水木ワールドである。

水木-駅前2 水木-駅前 水木-駅前3
境港の街は、あっちもこっちも鬼太郎と妖怪たちで溢れている

駅前の「水木先生の仕事場」像をスタート地点にして
水木しげるロード散策の始まりだ!

水木-仕事場s
駅前すぐの仕事場像、鬼太郎に目玉オヤジ、ねずみ男とスターがズラリ

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2009年08月14日

河内飯盛山城に登った。

大阪の東方、河内平野を見下ろす飯盛山に築かれた戦国山城、飯盛山城に登って来た。山麓の四条畷は南北朝時代に楠木正行と高師直が戦った古戦場で、そのころ飯盛山に陣城が築かれたという。戦国時代、長慶が城主になると畿内に睨みを利かせる重要な城となった。
城址一帯は金剛生駒国定公園の指定区域で、飯盛山ハイキングコースとして登山道もよく整備されている。城址へは
JR野崎駅から登っていたが、まず、キリシタン武将として知られる三箇氏の拠った三箇一帯を散策、ついで野崎観音、野崎城を巡りながら山上へと登っていった。

飯-野崎駅
早朝の野崎駅から城址方面を見る


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2009年08月10日

野菜が実った。

トマト、胡瓜は無事収穫できて、美味しくいただいた。一方、虫にやられたり、雨風で倒れたりして、実りを諦めかけていた唐辛子、パプリカが実ってきた。
 
野菜-植えたころ 野菜-育った
育ち始めたころ   ワサワサと育った
 
何本かの野菜が虫にやられたり、せっかくついた実が食われてしまったりしたが、、何とか大きく育ちどうにか実も育ってきた。土もよくない場所ながらも、それなりに育つ野菜の強靭さに驚くとともに、これで、土をちゃんと手入れすれば来年も収穫が望めると楽しみが増えた。
 
野菜-パプリカ青 野菜-パプリカ赤 野菜-しし唐
唯一実ったパプリカ  赤く色付く  しし唐も育ってきた
 
一番はじめに付いたパプリカは食われてしまったが、なんとか一つ頑張って育ってきて、やっと色が付いた。そろそろ、収穫かな〜、と楽しみにしていたが、なんと長雨で腐り始めてきた。今年の長雨では、たくさん付いていたトマトの実も水分の取りすぎで割れてしまった。これでは、農家の皆さんはもっと大変だな〜、と野菜を育てることで農家の苦労を僅かだが理解できたような。
あきらめかけていたしし唐、唐辛子も実がつき、はじめてのチャレンジながら、まずまず実りを迎えることができた。で、しし唐をもぎって食したところ、とてつもない苦いやつがあって、それはそれで経験できないことではある!と面白がっている。野菜づくりには、あれこれと気づかされることが多い。 by kuma
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2009年08月08日

妖怪道五十三次を見る

昨年に続き、今年も水木しげる大先生の「妖怪道五十三次展」を見てきた。
 
水木53-ポスター
ロビーのポスター
 
去年は綾部歴史博物館、今年は加古川総合文化センターである。聞いたところでは、草津でもやっているそうだ。むかし、いまはなくなってしまった宝塚ファミリーランドで「鬼太郎のお化け屋敷」が定番だったが、妖怪道五十三次はそれに変わる夏のイベントとなっているようだ。
 
水木53-会場 space_w 水木53-本
会場内は撮影禁止   昨年買いそびれた画集を購入
 
ウサ公と長女のユイノシンと三人で、真夏の陽射のなかを一路、加古川総合文化センターへ。入場料は500円、「場内は撮影禁止です!」と堅く釘を刺される、残念!昨年の綾部では、日本の幽霊とセットになっていたが、今年の加古川は純粋に水木しげるワールドであった。展示も広々として見やすいが、ちょっと話すと「静かに!」、鞄を覗き込むと「食べ物は外で!」と、やたらうるさいのには閉口した。展示された五十三次の図を見ると、なにやら印刷物のようだ。確か昨年は、肉筆がだったが・・・?と思ってみていくと、今年のものは版画で、制作工程の説明がある。
その緻密な仕事ぶりに、なるほど!と納得はしたものの、昨年の肉筆画と比べて見劣りするのは否めない。仕方のないことだが、いささか残念ではあった。

水木53-タペストリ space_w 水木53-綾部のん
撮影ポイントのタペストリ   昨年は備品としてちゃんちゃんこと下駄があったが・・・
 
とはいえ、水木しげる大先生の世界は十分に堪能できた。また、娘さんの視点で見た水木さんの日常生活のビデオも面白く見られた。五十三次をみたあとは、グッズコーナーへ。昨年、悩みに悩んで買わなかった画集を購入。他にもフィギュア、水木先生の一代記絵巻などなど、欲しいものだらけだったが、まずは画集をゲットしたことで「よし!」とした。やはり、水木ワールドは面白い!つぎは、水木先生の聖地である境港の水木ロードへ行くべし!と、大いに心が逸っている。 by kuma
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2009年08月02日

丹波の祇園さん波々伯神社の夏祭り

丹波の祇園さんで知られる波々伯部神社の夏祭りに行ってきた。波々伯部神社は、天徳二年(958)に八坂神社よりご分霊をうけたのが始まりとい伝えられている。祇園祭は京都八坂神社の祭で、平安時代の貞観十一年(869)に始められたという。京都の祇園祭は七月に行われるが、波々伯部神社では八月の第一土・日曜日に行われる。八台の山車の宮入と神輿三基の渡御があり、二台の造り山(きうり山)で演じられる山の神事は、見応えがあるものだ。

波々-宮入s
勇壮な山車の宮入
 
今年の波々伯部神社の祭礼は、大雨・洪水警報の発令によって宵祭は無念の中止となってしまった。本祭も警報が出た場合は中止せざるを得ないとのことで気を揉んだが、まずまずの天気のなかで例祭は賑々しく行われた。
 
波々-宵祭 波々-縁起物 波々-宮入2
宵祭りの御輿蔵  藤と鯛の縁起物  山車の宮入
 
八基の山車(曳山)が神社本殿前に参集、男たちの掛け声と子供たちの賑やかな囃子と山車が境内を荒ぶる様子は勇壮そのものである。山車八基が無事境内に参集したのち、本殿で神事が行われ、大歳森への渡御が始まる。神職のお話によれば、大歳森には波々伯部神社祭神のいわゆる愛人がいらっしゃるとのことで、年に一度のデートに行かれるのが渡御なのだそうだ。
 
波々-宮入3 波々-渡御山車 波々-渡御猿田彦
続々と山車が宮入  山車が大歳森に渡御  大歳森での神事を終え神社へ戻る
 
法螺貝の音を響かせながら猿田彦、獅子頭、踊り子たちが続き、さらにそのあとを山車が続いていく。青々とした田園のなかで繰り広げられる祭の次第は、何百年もの間、変わることなく続けられてきた。それを思うと、この祭の素晴らしさがしみじみと実感されてくる。

波々-戻る 波々-御輿担ぎ 波々-祭の終り
渡御を終えふたたび出しが神社へ  祭りの最期を飾る御輿担ぎ  それぞれの集落に帰って行く
 
今年は宵祭が大雨で中止、造り山の見送りなど寂しいところもあったが、山車の参集、御旅所への渡御、御輿の担出しなど見所は少なくなかった。来年は、造り山も出るとのことで、天気の好いことをいまから祈っている。 by kuma
posted by うさくま at 21:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 篠山歩き