2008年12月28日

穴八幡の一陽来復

毎年もらっている東京高田馬場にある穴八幡のお札「一陽来復」、今年ももらってきた。
今年は、東京に行く機会もなさそうで、どうしたものかな〜・・・と、ウサ公と悩んでいた。たかがお札といえばそれまでのことだし、ご利益はあったの?と問われれれば「そりゃ〜もう、バッチリ!」ともいえない。が、ずーッともらってきた縁起ものだけに、いざやめるとなると心が落ち着かない。さらに、あるべきものがない状態で新年を迎えるのも気色が悪い・・・ものだ。
いささか諦めモードになりかかっていたところ、孝行息子のお蔭で東京へ行く機会を得た。で、早速行ってもらってきた次第。これで「来年も安心だな」と、まことに他愛のないことだがホッとしている。

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穴八幡に行ったついでに、建設五十周年を迎えた東京タワーにも登ってきた。東京に住んでいたときは勤務地からいつもみえていたことであもり、そのうちに上ろうと思いながら、結局上らずじまいで関西に帰ってきてしまった。それもあって、四十年近く前の修学旅行で上って以来の訪問となった。ところが、すごい人出で上りのエレベータには長蛇の列。上るのを諦めるのも残念だし・・・と、思いあぐねていたところ、特別に階段でも上れるとのアナウンス。ためらわず、階段上りで展望台を目指した。約十分で第一展望台に到着、意外とアッサリと上れたというのが実感。展望台もものすごい人の波、さらに上の特別展望台にも上りたかったのだが「90分待ち」、帰りの時間に間に合わなくなるため断念!展望台の一角に天照大神を祀る神社があり、なにやら日本ならではだな〜と思っておかしかった。ウサ公の「ここに祀られていては、天照さんは永遠に地上に降臨できなのでは?」という突っ込みも「そやな〜」と面白かった。

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東京タワーを下りると、あたりは夕闇に包まれつつあり、東京の日暮れの早さを実感。増上寺を経て浜松町駅まで歩く途中で振り返ったタワーは、全身をイルミネーションに包まれて素晴らしい夜景を作り出していた。来年は厳しい一年になりそうだけに、例年以上に穴八幡のお札のご利益を願っているウサクマである。  by kuma
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2008年12月23日

嵯峨野から太秦、神社めぐり

嵯峨野の野宮神社、車折神社、そして、蚕の社の異名で有名な太秦の木島神社を経巡ってきた。

野宮神社は斎宮に選ばれた皇女が潔斎のために一年間籠ったところで、嵯峨野の竹林をそぞろ歩いていくと、黒木の鳥居と小柴垣がぽっかりとあらわれる。まことに清清しい雰囲気で、縁結び、子宝安産の神様というだけに、女性とアベックの姿が多い。境内にある神石「お亀石」は、撫でながら祈ると一年以内に願い事が成就するとあり、思い切り「なでなで」させていただいた。昨年の春、野宮神社を訪れたとき、境内に奉納された絵馬の一つにゴージャス姉妹の妹さんのものがあった。その後、ご結婚されたとも、子宝に恵まれたとも聞いていない。神様は人を見て相応なご利益を与えられるのだろうか?、それとも・・・??。

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阪急嵐山駅から渡月橋を渡ったところの左手にある車折神社頓宮、かねてより車折(くるまざきと読む)という社名の奇妙さもあって気になっていた。頓宮はいわゆる出店であり、車折神社の本社は嵐電「車折駅」南方すぐのところにあり、祭神は平安時代末期の学者清原頼業とのこと。本来、頼業の菩提寺であったが、社前を通りかかられた後嵯峨天皇の御車のながえ(轅)が折れ、車が前に進まなくなった。社僧に尋ねて頼業が祀られていることを知った天皇は、「車折大明神」の神号を賜り神社になったという。境内を歩いていると、なにやら玄人っぽい派手な男女・・・が、チラホラ見られる。境内摂社として祀られている芸能神社への参拝客と知って、なるほどと納得。芸能神社の玉垣には人気タレントのものもあり、好きなタレントの玉垣を探すのも楽しいかもね〜。

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車折から蚕の社へは嵐電で約十分、二百円。蚕の社駅を下りると前方左手に石の鳥居が見える。蚕の社は木島坐天照御魂神社(木島神社)境内に祀られた摂社養蚕神社のことで、主体は木島神社である。むかし、この地を治めていた秦氏が、水の神、結びの神を祀ったのがはじめという。秦氏は養蚕、機織、染色の技術に優れた渡来氏族で、秦川勝は聖徳太子のブレーンとして知られる。蚕の社西方にある広隆寺は川勝が太子のために造営した寺院と伝えられ、一帯の地名太秦も秦氏にちなんだものである。木島神社本殿の左方に元糺(もとただす)の池があり、下鴨神社の糺の森はこの地から遷されたのだという。池には水がないものの、中央に有名な三本柱の鳥居がある。伏見稲荷、松尾大社など京都に鎮座する古社は秦氏との関係を有しており、さきの糺の森のことなど、蚕の社を中心とした太秦にはなにやら不可思議な力が秘められているような?。そう思って蚕の社=木島神社を改めて見直すと、鳥居のある南側を除いて境内が高い塀で囲まれているのも、なにかを封じこめる結界のようで妖しい。

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京都は、遷都に際して桓武天皇が風水をもって白虎・朱雀・青龍・玄武の「四神相応」の都づくりをなされたという。おそらく、大和の飛鳥京にしても、平城京にしても、都づくりに際しては風水を拠り所にしたことであろう。しかし、古代のおおらかさを感じさせる大和の飛鳥京や平城京に比べて、近代まで都であり続けた京都は、なにやら生臭さを纏っているように思えるのはクマだけだろうか・・・。 by kuma

posted by うさくま at 19:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 神社紀行

2008年12月21日

多紀アルプスに登る

篠山市の北方に聳える修験道の山、多紀アルプスに初めて登ってきた。多紀アルプスへの登山コースは、北の川坂方面から、西の栗柄方面から、東の筱見四十八滝から、南の火打岩方面からなどがある。今回の登山の目的は、中世に栄えた三岳修験道の足跡を訪ねることにあったため、小金口から登って福泉寺跡→小金ヶ嶽→大タワ→三岳・行者堂→大岳寺跡、そして火打岩へと辿るコースを歩いてきた。

小金口から登り始めてしばらく行くと谷川沿いの道となり、かつてお堂があったのではと思わせる古い石積みが現われ、登山道はそこを迂回するように谷川からそれ尾根方向へと登っていく。ガイドブックによれば谷川沿いの道をしばらく登るとあったが、他に道は見当たらないため、ためらわずその道を登っていった。ところが、これが大間違いで、三十分ほど登ったところで山道は途絶えてしまった。あらためて石積みのところまで戻り、谷川沿いに登り道を探すと、倒木の向うにそれらしき道がある…!やはり、谷川沿いに登山道があったのだ。一時間のロスタイムは冬の山登りには痛い、一本の標識さえあれば…といささか恨めしい。気を取り直して谷川沿いの道をひたすら登ること四十分、かつて修験道の道場として栄えた福泉寺跡へ到着。相当な大きさの建物があったとことを実感させる礎石群、大峰山との戦いを意識して作られたという堀切、馬駆場、さらに土塁と思しき遺構が残っている。しかし、寺跡は復興されることもなく、緩やかに野に返りつつあるようだ。

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谷川沿いの道                      福泉寺跡の礎石群

福泉寺跡から小金ヶ嶽頂上への道は、しばらく緩やかな上りが続くが、樹林の間から見える小金ヶ嶽は見上げるような高さである。果たして、整備された階段が現われた所から急坂となり、やがて階段が途切れると岩にしがみ付くようにしての登りが続く。高所恐怖症気味の身としては、へっぴり腰で岩を攀じるしかないわけだが、谷筋を隔てた三岳の雄大な山容、遥か遠くに連なる山並みなど折々に見える素晴らしい景色にしばし恐怖を忘れる。攀じ登ること二十分で頂上へ、そこから広がる展望は文字通り三百六十度、その大パノラマを楽しみながら昼食のおにぎりを頬張る。
腹ごしらえをすまし、しばしの休憩をとり、西方に聳える三岳を目指して大タワへと向かう。直角に下るかのような急坂を木や岩をつかんで下ると、そそり立った岩稜上を縫うように続く細い道を辿って行く。油断のできない岩稜を越え、緩やかな尾根道に出ると思わずホッとする。後方を振り返れば、いま攀じってきた岩稜の向こうに小金ヶ嶽がそそり立っている。その光景は異様な迫力で、修験の山に身を置いていることが実感させられる。のんびりと落葉樹の林を過ぎ、苔むした針葉樹林の中に続く道を下りきると大タワへと到着。一時間のロスタイムはあったが、小金口から大タワまで三時間四十分の行程であった。

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小金ヶ嶽方面から三岳を見る   小金ヶ嶽頂上
大タワへの岩稜の道          岩稜から遥か下方の町を見る

しばし休憩を取ったのち、疲れた身体に気合を入れて三岳頂上を目指す。
大タワから三岳への登山道は階段が整備されていて迷うことはないが、何やら神社に参拝すような気分である。たしかに小金ヶ嶽のような怖さはないものの、いつ果てるともなく山頂へと伸びる階段を、前方にどーんと見える三岳に向かって登り続けるのは単調で辛いものがあった。階段を登りきると鎖場が現われ、やっとの思いでそこを過ぎると平坦な尾根道に出る。後方を振り変えると、谷を隔てて小金ヶ嶽の厳めしい姿が見える。やがて、三岳の頂上手前にある行者堂に到着。行者堂には三岳を開いたといわれる役の行者が祀られており、なんともいえない鬼気迫る雰囲気が漂っている。まったく霊感のない相方のウサ公が「この堂は怖い」などという。おそらく、かつて三岳で行を積んだ多くの修験者たちの祈りが、いまも行者堂には充満しているのだろう。
とまれ役の行者像に参拝し、三岳頂上で小休止をとったのち、火打岩集落を目指して山をひたすら下りていく。途中、東側には谷を隔てて小金ヶ嶽がそそり立ち、西側には西ヶ嶽の雄姿が望める。三岳の登山道は小金ヶ嶽に比べると、勾配はあるもののまことに穏やかなもので、大岳寺跡を経て鳥居堂の旧跡まで、落ち葉の道を修験者になったかのように駆け下りてゆく。やがて、馬の背と呼ばれる土橋のような痩せ尾根が現われ、火打岩と丸山との分岐点へと到着。この時点で、冬の太陽は西方の山際に沈もうとしている。冬の日暮れは早い、さらに足を早めて火打岩へとひたすら下りていく。火打岩の登山口に着いたころには、すでに夕闇が包みはじめていた。大タワを出発してから二時間十分、小金口から火打岩まで一時間のロスタイムを含めて全行程五時間五十分の山歩きであった。 振り返ってみると、小金ヶ嶽は厳しい山で、三岳は優しい山であったような・・・。 

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小金ヶ嶽を遠望              三岳の行者堂

ところで、三岳修験の行は表と裏の二道に分かれており、表は金剛界廻りといってまず筱見四十八滝から峰々を経て三岳頂上の行者堂へ。裏は胎蔵界廻りといい、三岳頂上から西に向かい、西ヶ嶽を通って里の養福寺に入って滝の宮で水行をして終わるとある。今回、小金口から火打岩を経めぐったわけだが、次は火打ち岩から三岳を経て栗柄へのコースを目論んでいる。さらに、筱見四十八滝から大タワへのコースをたどることで、変則的ではあるが金剛界廻りと胎蔵界廻りを成し遂げたいと思い描いている。  by kuma
posted by うさくま at 21:29| Comment(1) | TrackBack(0) | 山歩き

2008年12月19日

京都の神社めぐり、五社?十六社!

朝夕の通勤時、駅に置かれたパンフレットをよくもらって帰るが、いつも相方のウサ公に厭な顔をされる。というのは、「またゴミを増やしくさった」と思うらしい。たしかに、クマはもらってくるだけで片付けないことが多いけれど・・・ね。

5syas_panf 四神のイラストが素晴らしい!

先日、そんな駅のパンフレット群の内で目を惹いたのが京都五社めぐりのパンフレットで、速攻、もらって帰った。見れば、桓武天皇が平安遷都にあたって、都の四方を白虎・朱雀・青龍・玄武の四神に守ってもらった・・・いわゆる「四神相応の京」にふさわしいイベントとして五社めぐりが始まったとある。すなわち、桓武天皇を祭る平安神宮を中心にして、上賀茂神社を北の玄武、八坂神社を東の青龍、城南宮を南の朱雀、松尾大社を西の白虎に、それぞれなぞらえて五社めぐりとしたものだそうだ。それなりの歴史がある行事かな?と思ったが、なんと、昨年にスタートした生まれたてのイベントとある。ということは、NHKで放映されて人気の高い韓国ドラマ「太王四神記」をヒントに発想したものではなかろうか?と思ったが京都らしいイベント企画であり、なかなかの知恵者がいたものだわい・・・と、妙に感心した。企画の内容はといえば、五社のうち最初に参拝した神社で四神のイラストを描いた特製の色紙を1000円で購入、それを持って他の四社を回って各300円を払って朱印をいただけば満願になるという仕組みだ。しめて、2200円で京の主要神社の観光と自分だけのお土産ができるというわけだ。クマはすでに五社とも回っては入るが朱印はもらっていない、改めて朱印集めに回ろうか・・・な、と持ち前の収集癖をくすぐられているところだ。

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・ 応天門越しに見える大極殿、碧瓦が眩しい------平安神宮
・ こっそりと撮影させてもらった本殿---------------上賀茂神社
・ 西楼門と蘇民将来を祀る疫神社の鳥居---------八坂神社
・ 城南宮拝殿の屋根に見える神紋の「三光」------城南宮
・ 脇勧請とよばれる赤鳥居の榊(閏年は十三束)--松尾大社

一方、京都市内の十六の神社をめぐって朱印を集める「京都十六社 朱印めぐり」というイベントも発見した。こちらは昔からあるもののようで、元旦より二月十五日までと期間が限れられ、十六社を巡拝すると一年間あらゆるご利益が得られるという・・・。期間限定、十六社巡拝か・・・、なにやらこちらも収集癖をくすぐってくる。とはいえ、全部まわると朱印代は4800円、六社めぐりと併せれば7000円・・・、神さんってお金がかかるやないか・・・と、不況の先行きが見えない年の瀬だけに思案中である。でも、きっと行ってしまいそうだな〜。 by kuma 
posted by うさくま at 16:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2008年12月17日

若宮おん祭に行く

奈良の春日大社最大の祭りである若宮おん祭りに、有給休暇を取って行ってきた。昨年に続いて二度目、天気は生憎の雨模様だったが、奈良町から興福寺界隈の散策も併せて楽しんできた。昨年は、大和の戦国時代を調べ歩いていたこともあり、中世、おん祭りの担い手であった大和武士らの足跡を訪ねる意味での祭り見物であった。しかし、その意外な楽しさに、今年は「お渡り式」をたっぷり見物しようとウサッチを誘って出かけたのである。まつりのメーンイベントである「お渡り式」は、さまざまな時代の衣装を着た人たちが行列し、王朝時代の雅さ、中世大和武士の厳しさ、江戸時代の大名行列の豪快さを十分に堪能できるものだ。
 
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大宿所から出発する稚児流鏑馬ら
行列の中心的な存在といえる、藤の造り花を冠に挿した日使 
松の下の行事を検知する重要な役目を持った頭屋児

お渡り式の参加者の多くは地元の人々であり、参加者と見物者が挨拶を交わしながら談笑するシーンがあちこちに見られる。まことにアットホームな雰囲気で、観光化されてしまった京都の祇園祭りなどにはない長閑さがあり、見ていて心和むものがあった。また、結構な人出があるものの、行列の舞台が広い奈良公園ということもあって、祇園祭のような身動きもままならないギューギュー詰め状態ではなく、行列を追っかけてスムーズに移動できるのもいい。今年で873回という伝統と格式をもつ有名な祭りだが、総じて、ゆったりとした雰囲気で式次第が進んでいくのが好ましい。お渡り式のあと御旅所で神事が行われたあと、奉納される神楽・猿楽・田楽などの演舞も見物したかったのだが、強くなってきた雨脚と、狭い御旅所に見物客が集中したことで断念、後ろ髪を引かれつつ春日大社をあとにした。

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稚児流鏑馬  競馬  御旅所祭

相方は演舞を見るのが楽しみだったようで、このまま帰ることに何やら不満の態である。かといって、すでに近鉄駅の地下改札口、雨の降るなかを御旅所まで引き返すのはいささか面倒、ということで嵯峨野で開催中の花灯路に行くことにした。かくして、近鉄電車 → 竹田駅で京都地下鉄 → 四条で阪急電車 → 桂で乗換て嵐山 へ。駅前から続く灯籠の道を渡月橋へ、野宮神社からトロッコ嵯峨野駅までをそぞろ歩く。灯籠に照らし出された竹林の道は、幻想的な美しさと、妖が現われるのではと思わせる不思議さとが入り混じった光景をつくり出していた。

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おん祭りと花灯路、どちらも日常にはない「雅ワールド」を堪能でき、十分に楽しめた。とはいうものの、奈良公園から嵯峨野までの小旅行はさすがに疲れた・・・。帰って熱燗を飲んだら、その美味い事・・・すぐに酔って、すぐに寝入ってしまった。 by kuma
posted by うさくま at 20:08| Comment(0) | TrackBack(1) | 祭り

2008年12月14日

古市で義士祭を見る

今日、十二月十四日は赤穂浪士が吉良邸に討ち入った日だ。丹波篠山の古市にある浄土真宗大谷派の宗玄寺は、赤穂四十七士の一人である不破数右衛門ゆかりの寺として知られ、昭和七年(1932)に境内に数右衛門の顕彰碑が建立され「義士祭り」が開催されるようになった。戦後、GHQの命令によって中止となったが、昭和三十年(1955)より再開され現在に至っている。古市は古い宿場町で、いまも往時の宿屋跡や銀行跡などの建物が残り、昭和を感じさせる懐かしい空気が漂っている。篠山市役所サイトのイベント情報によれば、祭りのハイライトは「こども義士行列」で、スタートは午後十時とのこと。雨模様のなか十時過ぎに古市に着き宗玄寺を訪ねると、地元の人たちが祭りの準備をされているものの行列の始まる様子はない。聞いた所、折からの降ったり止んだりの空模様もあって、午後二時のスタートだという。「え〜っ」という感じだったが、せっかくなので、今田界隈の住吉神社めぐりで時間をつぶすことにした。まず、今田上立杭の住吉神社へ。そこから足を伸ばして上鴨川、さらに大川瀬の住吉神社をまわる。上鴨川、大川瀬の住吉神社の本殿はいずれも国指定重要文化財だけに、いずれも見事な造りであった。ただ、建物のイメージは住吉神社というよりは、丹塗りの華麗さから春日神社を連想させるものであった。

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上鴨川住吉神社 と 大川瀬住吉神社(右)

ころあいを見計らって、ふたたび古市に戻り、こども義士行列を見物する。見まわしたところ見物客は地元の人たちばかりのようで、観光客はウサクマだけだったのでは・・・と思われた。地元の方々の祭りに対する熱意と、こどもたちの一所懸命さは十分に感じられたが、いささか盛り上がりにかけることは否めなかった。赤穂浪士に対する興味も褪せてきた感がある昨今、祭りのありかた(企画・運営など)を見直す時期になっているのではなかろうか。・・・というのは他所者の思い上がった感想であり、地元の方々にしてみれば過疎化や少子化などの波と戦いながらの祭継続と思われる。ついつい合理化、経済性などといったことに振り回されることの多い現代、伝統を受け継ぎ、実直に継承していくことは難しいことであろう。古市義士祭は、ハイライトである義士行列に参加しているこどもたち、甘酒を振舞っていただいた町の人の屈託なさが、この祭りが古市の町にしっかりと根付いていることを感じさせた。

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派手で企画も盛りだくさんなイベントは多くの見物客が集まるだろうが、みずから参加したという実感は希薄なものだ。古市義士祭は地味ではあるが、親から子へと確実にこの祭りがバトンタッチされていることが実感され、なんとなく嬉しくなった。でも、人出の少なさは、残念というか、やはり寂しかったかな〜。 by kuma
posted by うさくま at 22:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 篠山歩き

2008年12月13日

愛宕山に登った。

ここ三年間、毎日、見ている愛宕山に登ってきた。愛宕山の登山コースは表参道にあたる清滝がポピュラーだが、水尾から、亀岡、京北から・・・などなど様々なコースがある。ウサクマの初登山は、もっともショートカットという首無地蔵コースで登った。首無地蔵コースは、梅が畑槙尾から京北へ抜ける谷山林道を利用するもので、浪切不動を経て車一台がやっと通れる山道を首無地蔵まで登り、そこから尾根道を歩いて愛宕山に至るというものだ。
朝八時半ごろに自宅を出発、一時間ちょっとで首無地蔵に到着。天気は快晴、見晴らしは抜群、落ち葉を踏みしめながらの山登りは、ちょっと裏山に登るといった按配のまことにお手軽なものだった。十一時前に愛宕山頂へ。しっかりとした出で立ちの登山者のグループ、麓から駆け上ってきたと思しき高校生のグループなどなど、さすが愛宕山というべき人の多さであった。喉が渇いたのでお茶を飲もうとしたら、なんと水筒を車に忘れてきた。社務所横に自販機を見つけ、お茶を買おうとしたところ、「三百円!」「高っ!」という高校生の声がする。背に腹は変えられない・・・なんだか、ガメツクネー!と、割り切れない思いでペットボトルのお茶を一本購入、相方ウサ公と半分っこする。

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出発前、自宅から見た愛宕山 → 浪切不動

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谷山林道 → 首切り地蔵

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地蔵から愛宕山への道 → 桂方面を見る

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愛宕山神社への石段 → 愛宕山神社本殿

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下山途中に比叡山を望む → 首切り地蔵から京都方面を見る

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松尾橋から見た愛宕山 → 帰宅、すぐに愛宕山を振りかえる

本殿に参拝してのち、京都の飲食店で見かける愛宕山の御札「火廼要慎」を購入。御札は小さい五百円のものにした。下山の途中、末社の白鬚神社に参拝、お賽銭をあげようとしたところ、お釣の五百円を受け取っていないことに気づいた。たしか千円札を出した・・・「ムムッ・・・」御札を受け取ったときに釣をもらった記憶も、「お釣を忘れてます」との掛け声もなかった。忘れたこちらが悪いとはいえ・・・なんだか、ヒトコトアッテモヨクネーと、割り切れない思いが湧いてくる。いまさら引き返すのも煩わしいし、お賽銭を多めにあげたと思って諦めることにした。けち臭い話のようであれだが、お茶の三百円、お釣の五百円のことは、愛宕山に登った満足感がいささか薄れたようで、すっきりしない!。とはいえ、首無地蔵までの戻り道の景色のよさ、見晴らしのよさは、登り同様に抜群で、車に戻りついたときには結構、充実感にひたされていた。
お茶、お釣といった「残念」なこともあったが、総じてみれば愛宕山登山はまことに楽しいものだった。今回は、お手軽コースでの登山だったが、次は長丁場の清滝コースでリトライしようとウサッチと企んでいる。また、春夏秋冬・・・四季折々にコースを替えて登るのも楽しいのではと、なにやら愛宕山登山に嵌りそうな気配である。 by kuma
posted by うさくま at 22:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 愛宕山

2008年12月10日

八上城、雑感。

関西に転勤してより三年、月二回のペースで篠山を訪ねている。
兵庫丹波の戦国時代の史跡訪問と、それが高じて立ち上げた「Look 篠山」なるサイトの取材とを兼ねたものだ。
戦国時代における兵庫丹波の雄は波多野氏であり、八上富士とも呼ばれる高城山上に八上城を築き、丹波一国を支配化においた。最期は織田信長の丹波侵攻に敗れて滅亡したが、いまも高城山上に八上城址が残り、篠山各地に波多野氏ゆかりの史跡が散在している。
亀岡から国道372号線を駆って、天引峠を越え、小野新の交差点を左折、小さな峠を越えると左手前方に高城山が見えてくる。春夏秋冬、四季折々の表情をみせてくれる姿のいい山で、篠山のあらゆる場所から望むことができる。

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八上城址の春夏秋冬
篠山城址本丸跡より見る   大渕の「土居の内」から見る
日置を越えたあたりから見る  弁天橋北より見る

波多野氏が滅亡したのち、八上城には亀山城主明智氏の城代、ついで豊臣大名前田氏などが配され、八上城は篠山盆地の中心であった。やがて、篠山城が築かれ篠山藩が成立するとる、篠山城が政治の中心となり、明治維新後も篠山の町のシンボルとなり現在に至っている。毎年、篠山城址一帯では、春のさくらまつり、夏のデカンショ祭りなどが盛大に催される。そして、来年には築城400年ということで、丹波篠山築城400年祭が賑々しく開催される。一方、八上城は八上城まつりが催されるものの、篠山城の盛大さに比べると寂しいものである。戦国時代の荒波を生き、丹波に冠たる歴史を有する八上城にふさわしいイベントを開催して欲しいものだ。 by kuma
posted by うさくま at 13:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 篠山の山城

2008年12月09日

しゃばけ の日々

畠中恵さん作の「しゃばけ」に嵌った!!!!!。
先日、娘が持っていた「ゆめつげ」を、時間つぶしに読み始めたところ
神社を舞台にし、幕末の歴史もまぶした作品ということもあって、一気読みをしてしまった。本来、妖し系が好きなだけに、面白かった!つづきは出ないのかと思っていたが、シリーズ物でないと知り残念に思っていた。
先日、テレビドラマで畠山恵さん原作の「うそうそ」が放映され、面白く見た。しゃばけシリーズの一つで、ドラマとしては「しゃばけ」に続く二作目だという。
しゃばけシリーズは、すでに何冊もの単行本・文庫本が出ていることは本屋の店頭などで見知っていたが、なんとなく買うまでには至らなかった。それが急に・・・なんだか、しゃばけ に恋する時期がきていたような・・・。加えて、先月来、嵌っていた「伊右衛門 焙じ茶」のおまけ付の商品が店頭から消えたことで、持ち前の収集癖を持て余しつつあった。そんなこんなで、いま出ているシリーズの文庫本を買って帰って、おもむろに読み始めた・・・。

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中トビラにあしらわれた柴田ゆうさん描かれるイラストの可愛らしさもあいまって、
すっかり、畠中恵さんの妖し「しゃばけシリーズ」にドップリと首まで漬かってしまった。

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こうなると、しゃばけシリーズをもっと知ってやれ、と、ネットで検索してみたところ「しゃばけ倶楽部」なるサイトを発見。早速、アクセスすると、こちらにも嵌ってしまった。さらに、デスクトップツールというページに壁紙が提供されているのを発見。即、ダウンロードして、わがパソコンのデスクトップの背景とした!

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いま二冊目の「ぬしさまへ」、まだ、先は長い!
しゃばけ の 妖 に憑かれた日々が、これから続いていく! by Kuma

*画像は「しゃべけ倶楽部」さんのページから転載させていただきました。問題あれば削除いたします。
posted by うさくま at 18:36| Comment(0) | TrackBack(1) | 読書