2008年11月30日

明治のトンネルでタイムスリップ

丹波篠山から丹波市に通じる国道171号線の鐘ヶ坂には、明治・昭和・平成の三つのトンネルがある。鐘ヶ坂は篠山市(旧多紀郡)と丹波市(旧氷上郡)を扼する要衝の地で、戦国時代には鐘ヶ坂を見下ろす金山に明智光秀が城を築いて氷上の赤井氏と多紀の波多野氏との連絡を分断した。江戸時代になると、安藤広重が「六十余州名所図絵」に「丹波鐘坂」として描いていることなどから、鐘ヶ坂は多紀から氷上へ抜ける道として往来する人は少なくなかったことが知られる。しかし、名だたる交通の難所であり、通行や物資の輸送には困難を極めていたようだ。

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篠山市側の入り口から氷上側の出口を目指す、かすかな行灯の明かりが頼りだ

その鐘ヶ坂にトンネルが貫通したのは明治十六年(1816)のことで、工期は四年、総延長268m、幅員3m、約28万枚の煉瓦が使用されたといわれる。道路トンネルとしては全国で五番目に古く、現存する煉瓦積み工法のトンネルでは国内最古のものという。その後、自動車時代になると明治のトンネルでは無理が生じ、昭和四十二年に昭和トンネルが完成、さらに平成十七年に平成のトンネルが完成した。かくして鐘ヶ坂には、明治、昭和、平成と建設時期の異なる三つのトンネルが並存することになったのである。

役目を終えた明治のトンネルは地図上からも消え去り、あろうことか心霊スポットとして取り上げられるようになった。たしかに一時期の荒れた様子の写真を見ると「さもありなん」と思わせる雰囲気を醸し出している。それもあってか周辺の整備が行われ、トンネルから不気味なムードは一掃された。しかし、丹波市側入り口、篠山市側入り口ともに柵が設けられ、トンネルへの出入りは禁止されてしまった。この明治の鐘ヶ坂トンネルには、一昨年の秋と今年の夏との二回訪ねていたが、いずれも中にはいることはできなかった。残念に思っていたところ、先日、鐘ヶ坂トンネルの通り抜けイベントがあることを知った。さっそく、相方のうさ公をさそって出かけてきた。

kanesaka02 トンネル中央にある氷上郡と多紀郡の郡界標識

丹波市のイベントと連動した企画だったこともあって、篠山市側の入り口の人出はチラホラといったところだ。トンネル内には行灯が置かれて、ななかな好い雰囲気で、のんびり歩いて十分くらいで丹波市側へ。外側からみるのとは違って、中にはいると、かつてこのトンネルを往来したであろう人や牛馬、車の姿が思い描かれてくる。ひょっとして、出口の向うには、いまも明治時代が続いているのかも・・・、などと「タイムトンネル」に入ったかのような錯覚を覚える。確かに、この明治のトンネルでは現代の物流のすさまじさには対応できないだろう。しかし、現代の狂奔ぶりを振り返させてくれる得がたい場所・・・鐘ヶ坂トンネルは明治から昭和に至るさまざまな歴史を秘めて、忘れてはいけない何事かを語り続けているように思われる。  by kuma
posted by うさくま at 19:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 篠山歩き

2008年11月29日

蟲師、十巻を買った。

漆原友紀さんの描くマンガ『蟲師』、待望の第十巻がやっと出た。 即買って、即読んだ!
蟲師は、「万物の生と死」というか、「生命の連鎖」というか・・・を感じさせてくれる作品だ。蟲師の紡ぎだす世界は『遠野物語』に通じるようでもあり、超常現象を紐解く一つの見方を示しているようにも思われるが、実のところ漆原友紀さんが生み出した独創的フィクションの世界だ。トーンとしてはもの悲しい話が多いが、決して暗い世界ではない、癒しにも通じる安堵感が読後にはある。なんとも、不可思議なマンガだ。

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十巻に収録された短編は、「光の緒」「常の樹」「香る闇」「鈴の滴(上下)」の四話、五編である。これまれの短編でもそうだったが、それぞれの題名として選ばれ作り出された日本語群が素晴らしい。そして、それらの言葉は読み終えたのちに、物語の中身を見事に言い表しているのだ。漆原友紀さんの作品としては「蟲師」しか読んでいないが、漆原友紀さんの物語を生み出す根底にある精神世界は、どのような生い立ちによってもらたされたものなのか・・・。その答えのひとつとして、単行本の合間に挿入された「おまけまんが」に、漆原友紀さんがおばあさんから聞いた不思議な話のことどもを書かれている。妖怪漫画の大家である水木しげる大先生が、「ののんばあ」に妖怪話を聞いて育ったという話と通じるものがあって面白い。年寄りは子供が喜ぶ話をするもので、漆原友紀さんにしても、水木大先生にしても、年寄りに好かれる性質の子供だったのだろう。そして、お年寄りから聞いた不思議な話の数々をみずからの養分となし、独自の作品世界へと昇華できる天才に恵まれていたのであろう。

ところで、蟲師はオダギリジョーの主演で映画化された。オダギリジョーを主人公の蟲師「ギンコ」にもってきたのは、いい演出だと思ったが映画は見ていない。蟲師の不可思議な世界は特撮である程度は表現できただろうが、原作に流れるユッタリとした時間と、懐かしくも不可思議な情景描写は、漆原友紀さんのペンに優るとは思えない。人気を得たマンガを原作として、気軽に映画化、ドラマ化などが行われるが、それらは原作とはまったく別物の作品とみるべきではなかろうか。

さて、蟲師は今回の十巻で「降幕」になった。現代、濫造されるマンガのなかで、独自の世界を紡ぎだした傑作の一つだっただけに残念だ。いつの日か、蟲師の新たな物語が「開幕」されることを待望している。 by kuma
posted by うさくま at 08:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書

2008年11月28日

愛宕山を見続けて、二年。

いま住んでいるマンションの玄関を出ると、真正面に愛宕山が見える。京都に住んで以来、毎日見続けているわけだが、昨年の暮れに何気なく撮影をした。以後、思いついたときに撮り続けていたところ、一年が経っていた。一年を振り返る意味も込めて『愛宕山写真集』として並べてみると、意外ににも変化に富んだ愛宕山が記録できた。まずは、今朝の愛宕山を・・・。

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atago20071230 atago20080215
2007年12月30日 → 2008年02月15日

atago20080301 atago20080322
2008年03月01日 →  2008年03月22日

atago20080426 atago20080717
2008年04月26日  →  2008年07月17日

atago20080813 atago20081011
2008年08月13日 →  2008年10月11日

atago20081119 愛宕1128
2008年11月19日  →  2008年11月28日
 
これからも折を見て、愛宕山のさまざまな表情を記録していこうと思っている。一方で見るばかりではなく、山頂にある愛宕神社を目指して愛宕山登山も目論んでいるところだ。 by kuma
posted by うさくま at 17:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 愛宕山

2008年11月26日

おまけの文庫包み、その後…

先日、 「伊右衛門 焙じ茶」 におまけで付いている文庫包み六種類を、1セット揃えたことを書いた。その後、二つ目の六種揃えにチャレンジ、12本にして二セット目が揃った。その無駄のない集まり具合に、持ち前の収集癖も充たされ、ささやかな喜びを感じた次第である。
 
昨今の社会情勢はといえば、長期政権も土壇場にきたかと思わせる政治の無能と空転、ひき逃げ・殺人などのやりきれない事件の連発、さらに世界的に経済状況は最悪、といったものだ。文字通り、夢もチボウもない末世というか、出口のないトンネルをさまよっているかのような厭な感じだ。そんな時代だけに、おまけがサクサクと揃ったことは、ちっぽけなことやんと笑われそうだが、なにやら好いことが起こりそうで嬉しさは一入だったのだ。

omake05 本箱の一角に十二冊揃った
 
今朝も、いつもと変わらず「伊右衛門 焙じ茶」を購入、おまけも増え続けている。当然ながら三セット目の六種揃えを狙っているが、さすがに最初に抱いた感動はうすくなってきた。とはいえ、漢字も空気も読めない「阿保な誰かさん」のおかげで、社会情勢はさらに悪化の一途をたどりそうだし・・・。文庫包み収集に変わる新たな、ささやかな喜びを見つけたいと思うものの・・・、クマとしては冬眠して春を待つのがいいのかもね〜。 by kuma

omake03 3セット目は、袋に入ったままだ
posted by うさくま at 19:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2008年11月25日

竹田城址、三度目の訪問

日本三大山城の一つとして有名な但馬竹田城址、その見事な石垣は数ある戦国山城の中でも屈指のものだ。応仁の乱の一方の立役者である山名宗全が築き、重臣太田垣氏をもって守らせたが、山名氏の衰退とともに太田垣氏の居城となり戦国時代を迎えた。
麓のJR竹田駅から見上げると、石垣が山上一帯に見える。昨年、五月の連休に往時の大手道という山道をテクテクと歩きで城址を目指した。山頂にたどり着いたときには疲労困憊であったが、眼前に展開する見事な縄張りと石垣群、何よりも360度のパノラマに疲れは一気に吹っ飛んだ。宮崎駿のラピュタではないが、天空の城と呼ぶにふさわしい竹田城の素晴らしさに魅入られてしまった。
takeda01 晩春-のどかな春の陽光に霞む城下町

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初登城から三ヶ月後の夏休み、ふたたび竹田城址に登った。山腹にある駐車場まで車を走らせ、夏の日差しのなかを汗をかき拭き天空の城へと歩を進める。ふたたび目にするパノラマ風景は、真夏の光の中で輝きを増し、実に素晴らしいものだった。それから一年、丹波から但馬方面の山城をめぐることに忙しく、竹田城に拠る機会がなかった。

takeda03 盛夏-キリッとした夏の陽射が眩しい


昨日、紅葉で知られる養父神社に出かけた。恐竜発掘で有名になった篠山川渓谷から谷川を抜けて、和田山に着くころには、雨が降り出すという生憎の天気となった。雨は想定内のことであり、ためらうことなく神社に直行する、陽光に照り輝く紅葉も素晴らしいが、神南備山にかかる霧と小雨にぬれる紅葉とのハーモニーは行く秋を惜しむかのような風情を醸し出していた。
おりからの霧を見て、相方のうさが三度目の竹田城行きを切り出す。雲海に浮かぶ竹田城址の情景も脳裏に思い描かれ、にわかに三度目の竹田城行きを決定する。今回は、竹田城址の石碑が建つ大手直前まで車を走らせる。城址に登り周囲を見回すと、遠くの山並みはもとより、城下町も霧と雲に包まれ、春と夏の訪問時には感じることのなかった晩秋の寂しさが迫ってくる。これも、戦国時代の城跡ならではといえようか。
takeda04 晩秋-折からの雨と霧に霞む城下町


次は雪の竹田城を!とも思うが、寒さと雪中のドライブは苦手なもので、四度目の登城は桜の季節にするか・・・などと考えながら帰途についた。なんだか登城スタイルが、回を重ねるごとにドンドン「ずぼら」になっているような気もする。来年の春に来るとすれば、初心に帰って歩きで天空の城址を目指したい。そのときは、表米神社からの道を利用したいものだが、台風で崩落したという登山道の修復工事がなかなか進んでいないようだし・・・悩ましいところだ。  by kuma

posted by うさくま at 20:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 但馬の山城

2008年11月23日

老の坂を超えて、丹波篠山へ

二週間ぶりに篠山に行く。 篠山に行くときは、いつも京都縦貫道を利用するのだが、今日は国道九号線を利用する。老の坂トンネル近くの山中にある首塚大明神、老の坂を亀岡側に降りてすぐのところにある篠八幡宮を訪ねるためだ。首塚大明神は大江山の酒呑童子の首を葬った所といい、篠八幡宮は足利尊氏が鎌倉幕府に叛旗を翻した神社として知られているところだ。酒呑童子が棲家にしたという大江山は丹波大江町とされているが、首塚大明神の鎮座する大枝が本来の大江ではないかともいわれ、すぐ近くに大江山も存在している。
さて、首塚大明神は由来によれば、童子を退治した源頼光と一行が討ち取った首を都に持って帰ろうとする途中、老の坂で休息した。すると道端の子安地蔵が「不浄な首を都へ持ってはいることはならん」と云われ、坂田金時がいくら頑張っても首はまったく持ち上がらなくなくなった。 そこで、一行はやむを得ず首を埋めて首塚をつくった、それが大明神の始まりだと伝えられている。鬼の首を埋めたというだけに一帯は妖しい雰囲気が漂い、鳥居前の廃墟群がさらに不気味さを増幅する。大明神と周辺一帯が心霊スポットとしても有名な場所であることが実感できる。
鳥居をくぐり、木の根が剥き出しになった参道を登って社殿に参拝、本殿の背後に廻ると「童子の首塚」と思しき石積みの塚が祀られている。・・・突然、湿気を含んだ神社周囲の森から奇声が響き渡り、ざわざわと木々の揺れる音がする。思わず「ゾッ」として森を凝視すると、猿の集団が木々を伝わりながら森の中を移動している。なにやらホッとしたものの、肩透かしをくらったようでもある。とはいえ、この状況が夜であれば半端じゃない恐怖感に鷲攫みされることは疑いない。

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木漏れ日も不気味な首塚大明神 (真ん中:首塚? 右端:柿の木の猿軍団)

篠八幡宮は、関東から関西に移ってすぐの秋に、ちょっと立ち寄ったことがある。そのときは、八幡宮の神紋である「鳩紋」を確認することが目的だった。その後、丹波武士の歴史を調べるようになり、改めて篠八幡を訪ねたいものと思っていた。篠山に行くことが多いだけに、「すぐに行けるし、そのうち・・・」と思っているうちに二年が経っていた。前回にも思ったが、中世における重要な場所ながら「意外に小さな神社だな」と改めて感じる。しかし、矢塚・旗挙げの楊などを見ていると、丹波武士がみずからの将来を掛けて篠八幡に馳せ集ったとき、誰がその後に続く歴史の動乱を見通していただろう。
いま、世界的不況にさらされる日本の指導者とその与党は、屋台骨の揺らいだ鎌倉幕府に見えなくもない。誰か、倒幕の旗を篠八幡に掲げれば、時代の変革を求める多くの武士が馳せ集うのではなかろうか。

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篠八幡の鳥居と、倒幕を決意した足利尊氏が旗を立てたという楊の木
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最近、続けている二十二社めぐりの官弊神社群に比べれば、両神社ともまことにちっぽけな存在だ。しかし、、丹波と京都との関わり、歴史における伝奇性など、いずれも面白い神社だ。 by kuma
posted by うさくま at 08:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 神社紀行

2008年11月22日

大和の古社を訪ねる

今日、二十二社「中七社」うちの龍田大社に行った。先週に続いての二十二所めぐりで、今回は相方のうさも一緒だ。

京都から枚方を経て磐船街道を南下、奈良県平群郡三郷へと車を走らせる。
龍田大社の祭神は天御柱命・国御柱命で、天地間の大気・生気・気・風力を司る神様で「風神」と呼ばれている。古来より皇室の厚い崇敬を受け、国家の重大事には特別にお祭りが行われた古社だ。
大社は紅葉の名所としても有名で、見事に色付いた紅葉の境内は七五三の家族連れで賑わっている。紅葉の大社を写真におさめたかったが、お祝いモード一杯の家族連れが、そこかしこで記念撮影をしている(いわゆる傍若無人に)・・・。秋晴れと紅葉、写真撮影には絶好のコンディションだが、人出の少ない時期に出直す事にして、さらっと境内、周囲を散策、大社をあとにする。ところで、龍田大社といえば小倉百人一首などに詠まれる龍田川の歌などから、大社境内の紅葉が龍田川に映えている情景を想像していた。実際に足を運んでみると、大社と竜田川とが随分離れていることが意外であり、歌の情景に接することができなかったことは残念だったかも・・・。

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七五三で賑わう龍田大社社殿、境内の楓は見事な紅葉。

予定では、龍田大社を訪問したあとは、篠山方面へ行くことになっていた。しかし、せっかくの好天でもあり、うさの同意を得て二十二社の一社でもある春日大社へ足を伸ばすことにした。春日大社へは、●●十年前に小学校の修学旅行で初めてきて以来、何度も訪問している。とくに昨年は、大和武士の歴史と足跡を訪ね歩いたとき、若宮おん祭りを見物したときなどに訪ねたが、春日大社そのものをじっくりと見学することはなかった。それもあって、今日は本殿拝観券も購入して拝殿、回廊、末社群を隅々まで見て回ってきた。建造物の多くは朱で塗られ、その華やかさと造形の確かさはまことに見事なものだ。本殿を堪能したあとは、境内に散在する摂社・末社、石灯籠などなどを見て歩く、石灯籠の刻銘には天文・永禄など戦国時代のものもあり思わず見入ってしまった。大社一帯は、黄や赤に染まった紅葉、小春日和の陽射しも加わって、一年のうちでも最高の状態だったのではないか。

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南門前に何気なくある「神石」、人出の多さに巫女さんたちは大忙し。

春日大社が鎮座する奈良公園一帯は世界文化遺産に登録されているが、見るほどに知るほどに新たな発見がある…長い歴史に磨かれた多様な美が凝縮された玉手箱といえそうだ。あっと言う間に陽は西に傾き、相方のうさは疲労と退屈さを隠さない。つぎは、十二月のおん祭り、あるいはお水取りのときに…などと夢想しながら、夕暮れに包まれた奈良をあとに帰路についた。結局、当初予定していた篠山行きは明日に延期となったが、秋の大和は本当に素晴らしかった。 by kuma
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2008年11月21日

おまけの文庫包み

京都に住んで、三回目の冬を迎えた。
今年の春ごろより、平日朝の行動パターンが画一化している。つまり、

家を出る → 電車に乗る → 地下鉄に乗り換える → 最寄り駅のローソンでペットボトルのお茶を買う → 事務所着は、ほぼ九時二十分前後

というものだ。文字通り、判で捺したような毎日を繰り返している。
ペットボトルのお茶は温かいハーフサイズのものを二本、というのも毎日変わらない。最近では、気難しそうな店主のおやっさんが挨拶をしてくれるようになった。お茶の銘柄は、『お〜い、お茶』 と 『伊右衛門』 を一本づつというのも決まったパターンだったが、今月のはじめに 『伊右衛門 焙じ茶』 の温かいものが出て選択肢が広がった。

『伊右衛門 焙じ茶』 には、サントリーさん得意の何やら「おまけ」がついており、早速購入したところ和風の文庫版カバー(包み)が「おまけ」の中身だった。渋い色合の和風調のもので、ワンポイントの図柄は家紋に通じる風合いがあり、何だか得した気分になっていたところ、六種類あるという。ついつい持ち前の収集癖を煽られて、毎日、『伊右衛門 焙じ茶』 を購入、ついに昨日、八本目で六番目の柄を手にすることができた。

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言ってしまえば他愛もないことだし、サントリーさんの「おまけ作戦」に嵌まった感じがしなくもない。しかし、意外な達成感があり、今日も 『お〜い、お茶』 と 『伊右衛門 焙じ茶』 とを購入。文庫版カバー(包み)の収集は、二つ目の 「六種揃え」 達成を目指して続いていく・・・。 by kuma

omake01 一部、見えている柄が見極めどころ。
posted by うさくま at 10:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2008年11月20日

甲賀の木瓜紋

伊賀と並んで忍者の里として知られる近江国甲賀へ、一昨年の暮れから昨年の春にかけて再三にわたって足を運んだ。戦国期の甲賀には、山中・三雲・佐治・望月・大原・美濃部・和田などの土豪諸氏が割拠し、甲賀五十三家と称されていた。それぞれの出自は平氏、橘氏、伴氏など一様ではないが、戦国時代の近江に小さからぬ足跡を残している。それら甲賀武士が拠った山城や、所縁の神社、仏閣を中心に訪ね歩いたわけだが、そのなかで面白い発見をした。甲賀には「木瓜」紋が多いということだ。つまり、甲賀武士のうち伴氏一族が「木瓜」を家紋とし、甲賀の総鎮守とされる油日神社大原氏ら伴一族の氏神という大鳥神社が「木瓜に二つ引両」を神紋としていたのだ。

 mon_mokko2 木瓜に二つ引両

伴氏は古代豪族大伴氏の後裔にあたる伴善男の子孫だといい、甲賀の伴氏は三河国から移住してきたと伝えている。その真偽はともかくとして、伴氏、大原氏をはじめ上野、岩根、宮島氏ら一族はこぞって「木瓜」を家紋としていた。さらに、伴氏から分かれたという山岡氏・滝川氏らも木瓜紋を用いた。加えて、伴氏の本家にあたる三河の富永氏も「木瓜に二つ引両」を用いていたことは、室町幕府の史料などから知られるところだ。木瓜紋が伴氏に共通した家紋であったことが分かる。
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山岡氏の「石餅に木瓜」    滝川氏の「丸の内竪木瓜」

油日神社は油日岳山頂に油日大明神が降臨したことを起源とし、そのとき大光明を発したので「油日」の名が起こったと伝えられる。中世において同社は山岳信仰と深い関係を有し、信楽の飯道山と並んで甲賀修験道の中心であった。すなわち、山野を跋扈して修行に励んだ甲賀修験者たちは、やがて甲賀忍者へと変身していった。その頭目となったのが先の甲賀五十三家であり、かれらが氏神として信仰したのが油日神社だったのだ。一方、大鳥神社は大原氏の居城跡に鎮座しており、境内の一角には土塁跡と見られる遺構が残されている。祭神は京都の八坂神社と同じ素戔嗚命で、大原祇園社ともよばれる。本殿には八坂神社と同じく「五葉木瓜」が刻まれているが、鳥居脇に立つ石碑には、「木瓜に二つ引両」が「大原同名中」の文字とともに刻まれている。かつて、甲賀衆は「郡中惣」を組織し、それを同名中と呼ばれる同族組織が支えた。大鳥神社では、現代でも大原同名中が年に一回社前において会されているという。そこには、中世の歴史がそのまま生きているといえよう。

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左:油日神社の神馬に描かれた神紋 右・大鳥神社石碑に刻まれた神紋

普段、家の紋はともかく、武将の紋、神社の紋などは気にかけられることは少ないのではないか。しかし、家紋・神紋は中世の歴史を現在に伝える遺産の一つであり、旅の道標にもなってくれるものだ。いま、歴史を訪ねる旅を楽しんでいる方が多いと聞くが、紋に目を向けることをおすすめしたい、意外な歴史の面白さに出会えるだろう。  by kuma
posted by うさくま at 12:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 家紋

2008年11月17日

曲がらせて!

昨日、いまあるメタルラックの棚を増やそうと棚を買ったけど、ストッパー?( ポールに噛ます黒いプラスチック)を買い忘れ、また買いに行きました。
棚だけは売ってるのに、絶対必要なストッパーは付いてない。別売りでサイズが揃ってない!
これは、あまりに不親切ではないか!と、ちょい腹立たしい!
店員さんの申し訳なさそうな対応に少しは救われたけど、棚を増設出来ない!

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それはそれとして、ホームセンターを探してあまり車で走りたくない京都市内を走りまわって、やっぱりというかマナーの悪さにウンザリです。
右折が出来ません。
ウサの運転が下手くそではなくて、赤信号でも直進して来るから、対向車線が完全に赤信号になってしまうんですね。もちろん、ごめんなさいと言いつつ曲がる訳ですけど、なんでこんなに行儀がわるいんでしょう? 首都圏ではこんなことなかったよなぁ。あの悪名高い大阪でさえもうちょっとマシやわ!ウサのボヤキ二連発でした。  by usa

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西宮、廣田神社を訪ねる

昨日、15日に続いて、連チャンで二十二社めぐりに行って来ました。朝起きると天気予報通りの雨、家にいるしかないかと思っていたところ、昼前、ぱらついていた雨があがる。それでは「行くで!」と、呆れる家族を後目に家を出発!目的地は二十二社のうち、もっとも西にある廣田神社。
阪急電車 →西宮北口駅 →甲東園行バス →廣田神社前 
廣田神社に着いたころには、すっかり雨も上がり、他社にはない風変わりな鳥居をくぐって境内へ。 

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西宮の地名は、廣田神社が西宮と呼ばれていたことに由来したもので、中世、その社域は、ほぼ現在の西宮市域に匹敵する広さだったとのこと。廣田神社は天照大神の荒御魂を祀り、その社格は兵庫県で一番の高さを誇っている。神社の『パンフレット』によれば、廣田大神は神功皇后の三韓征伐を先導して勝利をもたらし、イザナギ・イザナミの第一子に生まれながら流されてしまった蛭子命を助け、戎大神となすなど、その神徳はあまねく世の中を照らしているという。廣田神社において蛭子命を祀ったのが、西宮のエベッサンとして親しまれている西宮戎神社であり、もともとは廣田神社の末社であった。明治維新ののち、明治七年に境内地を割譲されて独立したのだそうだ。 

阪神タイガースは廣田神社の神徳にあやからんとして、毎年、開幕時に戦勝を祈願の参拝をしていることは有名だ。しかし、今年前半の快進撃と、何ともいえない結果を見ると、その神徳のほどはどのように理解すればいいのだろう・・・。おそらく、快進撃は廣田神社の神徳で、結果はタイガースの実力?だったのかも・・・。
hirota_1116  神主さんのお祓いを受ける家族連れ

あいにくの天気ではあったが、境内は七五三の親子連れが行き交い、お参り受け付けのためのテントが張られ、社殿の内陣では七五三の親子連れが神妙に神主さんの祝詞とお祓いを受けている。世代が変わっても、むかしからの行事が粛々と行われるさまは、改めて日本という国の面白さを感じさせる。また、神社の境内は「菊紋」だらけで、廣田神社の神紋という「四つ菱紋」、公式ホームページに用いられている「九曜紋」はどこにも見当たらない。本来の神紋は、「四つ菱」あるいは「九曜」と思われるだけに、この目で見ることができなかったのは、まことに残念であった。

廣田神社をあとにしてバス停でバスを待っていると、太陽が顔を出し、みるみる周囲は陽射に包まれた。晴天となれば、行き先を西宮北口から阪神西宮駅行きに変えて西宮戎神社に向かうことにする。阪神西宮駅から徒歩で五分、こちらの境内も七五三の親子連れで溢れ、かつての本社であった廣田神社をはるかに凌ぐ賑わいだ。いかに神格が優れ、長い歴史を有していても、立地と人気には勝てないといったところだろうか・・・。現代の世相にも通じるところであり、生き残るということの難しさを感じさせる。これも神社参詣がもたらしてくれる処世のための厳かな御教示なのか・・・な。   by kuma

ebisu_1116 勢ぞろいしてお祓いを受ける家族たち
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2008年11月16日

「アジアとヨーロッパの肖像」展

太陽の塔で知られる万博公園内にある国立民俗学博物館でいま、「アジアとヨーロッパの肖像」展が開かれている。
なんとなく気になっていた展覧会で、そろそろ行こうかな〜と、思っていた矢先の一昨日、知り合いの方からタダ券をいただいた。
ということで、早速、その日のうちにピョンピョンと行ってきました。
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posted by うさくま at 11:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

葵つながり

いま、機会をみつけては二十二社めぐりを楽しんでいる。
二十二社とは、数ある神社のなかから、特に朝廷より崇敬を寄せられた二十二の神社で、伊勢神宮を筆頭として近畿地方に散在している。昨日、その一つである賀茂神社のうち賀茂別雷神社、いわゆる上賀茂神社に行ってきた。

テレビの天気予報は、「曇り、ところによって昼頃より雨」とのことだったため、雨が降り出す前に神社を散策しようと気が逸り、朝七時、まだ眠る家族を横目にして家を出発する。
上賀茂神社へは四条大宮駅で京都市バス46系統に乗り替え約30分、途中の車内から見上げる空は雲に覆われ、神社に着く頃には小雨が…。
少々の雨は止むなしと、やや落胆しながら上賀茂神社の境内へ。
世界文化遺産に登録されている上賀茂神社には、国宝の本殿をはじめ、重要文化財の指定を受けた建造物が所狭しと並び立ち、御物忌川、御手洗川、そして、ならの小川の清冽な流れと相俟って、なんともいえない神寂びた空間が広がっている。
境内を巡るうちに、いつしか雨は止み、太陽が顔を出し、青空が広がる素晴らしい秋晴れとなった。早朝に訪れたこともあって観光客の姿も少なく、のんびり、ゆったりと境内の散策を堪能できた。諺にいう『早起きは三文の「徳」』を享受できたってところかな…。
kamigamo1115  社務所の屋根瓦の葵紋

せっかくの秋晴れになったことでもあり、賀茂神社と並び二十二社の一社である大津坂本にある日吉大社行きを思い立った。賀茂神社から日吉大社へは、地下鉄北山駅→京阪浜大津駅→坂本駅と約一時間の行程だ。
日吉大社は山王権現とも呼ばれ、歴史的に比叡山と深い関わりを持ってきた。それが、災いして織田信長の比叡山焼き討ちに際して、堂社ことごとく灰儘に帰した。その後、豊臣秀吉、徳川家康らによって再建され、江戸時代を通じて幕府の保護を受けた。
国宝の東本宮、西本宮をはじめ、宇佐宮、樹下宮、白川宮などの社殿が重要文化財の指定を受け、八王子山には「金大巌」と称される磐座が存在している。また、大宮川にかかる石造の日吉三橋、比叡山の僧兵たちが強訴するときに担ぎ出した山王神輿も見逃せない。さらに、日光東照宮のヒナ型になったという日吉東照宮、穴太積の石垣が美しい里坊など、日吉大社境内から坂本一円は見どころが一杯だ。
今回、ひとつ残念だったのは「日吉の紅葉」として知られる紅葉が、まだ色付きはじめたばかりであったことだ。神職の方に聞くと、今年は月末がみごろだという。
 hiyosi1115  東本宮賽銭箱の葵紋

上賀茂神社と日吉大社とは、比叡山をはさんで西と東という真逆の場所に鎮座しており、行先としてはちょっとありえない組み合わせかもしれないが、京都地下鉄から京阪電車を乗り継いでの小さな電車旅は意外に楽しかった。なによりも、両社の神紋「葵」の図柄をそれぞれ実見できたことが、くまには一番嬉しかったかも…。   by kuma
posted by うさくま at 04:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 神社紀行

2008年11月13日

ブログを始める

くまがホームページをはじめて10年を越えました。
そろそろ、ブログにチャレンジ!
ということで、うさと一緒に
ブログインです

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先日、うさくまが行った大神神社門前のお土産屋さん、
魚も大根も・・・まるで本物のよう。
posted by うさくま at 14:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記