2017年09月24日

戦国倶楽部−丹波木津城整備オフ

今日は7月の末に予定しながら、雨で中止となった丹波木津城整備オフに出陣。丹波は久しぶりの快晴、天気予報では「暑くなる」とのこと。ま、無理せず、のんびり作業をやるべし。

集合場所である古市駅で今日の参加者・城マイスターMさんと歴女Sさんを拾い、目的地である丹波木津城に向かう。木津城の整備は、おもゼミグループでも作業を進めているが、なにぶん手付かずのままの雑木林の伐採を続けてきた。城址全域の雑木伐採を主体とした整備作業は、とてもではないが望むべくもない。ともあれ、木津公民館に車を停め木津城目指して登っていった。


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南曲輪、左手奥に竪堀がある

image5.JPG 竪堀より切岸を見る

急な登りと暑さでチョッとバテ気味となったが、主郭南曲輪の伐採作業に思い思い着手。自分は主郭部南西に残る竪堀と曲輪に生い茂る雑木伐採に取り組み、ひたすら木々の伐採に汗を流した。チェンソーでもあればバッサバッサと作業もはかどるのだろうが、小さなノコギリ主体の作業では限度がある。休みやすみしながら四時間近く、整備作業に精を出した。

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ひたすら雑木と戦う
22007469_1368736773224898_3583510692323344094_n.jpg いまいち分かり難い

木津城整備作業を終えたあと、今田温泉(冷泉だが天然温泉のかけ流し)で疲れと汗を流し、さっぱりと着替えをすませる。かくして、恒例の懇親会場へ移動、乾ききった身体にビールを流し込み、ワイワイと歴史話に盛り上がった。

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いい具合に酔ったところで記念撮影

見るべきところもない、ネットなどでもほとんど取り上げられていない無名の小さな山城。しかも、汗だらけになっての整備作業。こういう地味なオフ会と知りながら参加してくれはったMさんとSさん、ほんとうにお疲れ様でした。しかも、おおいにエンジョイしてくれはったようで、よかった、よかった。

posted by うさくま at 12:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 戦国倶楽部

2017年09月20日

辻集落・池田家再訪

今月のはじめ、市役所の方と訪問して、伝来の甲冑・古文書などを拝見させていただいた池田家。先日、ガイド先輩Tさんから「池田家に行くけど、いかが」とお誘いを受け二つ返事で一緒させていただくことになった。そして今日、昼から休みをとって池田家を再訪、Tさんとその友達で歴史好きのOさんの三人。

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池田家の屋根瓦の家紋(元の持ち主の定紋)

再訪のあつかましさに恐縮しながら、ふたたび甲冑、文書・典籍を拝見、当主の池田氏より家にかかわる様々な歴史話を拝聴。今日もあれこれ歴史の勉強をさせていただいた。

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文書・典籍類を拝見
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池田長政が関が原合戦にしようした具足
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本居宣長に掛かる文書
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江戸中期、飾り用に作られたという甲冑

ところで、ご一緒したO氏は篠山城石垣の刻印について研究されているとおっしゃり、こRまでの研究成果をプレゼンしていただいた。篠山城石垣の刻印についての話は池田家のご先祖も築城に関わったものであり、O氏の視点、探求の深さなどなど大変興味深く、実に面白かった。こういう出会いがあると、もっと精進せねばと思い知らされるのである。
posted by うさくま at 11:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史探索

2017年09月15日

王地山カフェ、オープン

今日から篠山の妻入商家群で『クラフト&フォークアート篠山「いらか」』が開催される。
それに合わせて、篠山藩窯 丹波青磁 王地山焼 の工房・王地山陶器所の前庭で王地山カフェが期間限定でオープン!

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のんびりした時間がただよう
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王地山陶器所
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陶工たちの作品
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登り窯

この週末は天気が悪そうだが、王地山焼の作品や登り窯を見たり、すぐ近くに鎮座する篠山パワースポットの一つともいわれる王地山稲荷に参拝するなど、王地山界隈でのんびりするのもいいかもしれない。 


posted by うさくま at 12:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2017年09月11日

映画撮影の立会に臨む

篠山城跡より周囲を見回すと山と田圃ばかりという田舎ぶり。
その環境を立地とした大書院と篠山城跡は
時代映画ロケの最適地として映画撮影に利用されることが多い。

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これまでも映画「火天の城」「超高速参勤交代」や
テレビ時代劇「女信長」「信長のシェフ」などなどのロケ地となった。
そんな篠山城大書院で新しい映画の撮影が行われ
館管理・事務方スタッフの一人として撮影の立会いに任じた。
ミッションは無垢材を多用した建物、襖や屏風などに描かれた絵画を
撮影中の不注意などによる損傷から守ること。

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映画の内容は守秘義務もあって明かせないが
監督はじめスタッフの皆さんは行儀のよい方ばかりで
予定されていた時間内に撮影終了、ミッションも無事終えることができた。
あとで、調べてみると来年封切りされる話題作のようで
今日の撮影シーンがどのように映画の中で生きるのか、楽しみだ。
posted by うさくま at 14:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2017年09月10日

木津城整備作業

六月末以来の整備作業。
城跡はこれまでの整備の成果もあって、スッキリした状態を維持している。
今日は主郭部の西端に生い茂る潅木を伐採して
西の帯曲輪と東北に続く曲輪群への見晴らし確保に努める。

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作業前の状態

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スッキリ

天気がよいこともあって暑さは半端ではなく、あっという間に汗だくでの作業となった。

一通り、主郭部の伐採が終わったのち昼食。
昼からは、主郭の南側に茂る雑木を伐採、南帯曲輪側の見晴らしを確保した。

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むかしなら伐採した木々を程よい長さの柴にして炊き付け用などに担いでおりる所だが、現代ではそのような作業をする必要もなく、伐採した雑木を曲輪の周囲などに積み上げてしまった。
これはこれで、城跡にあったであろう柵を彷彿させなくもないが、状態としてはスッキリ感を阻害していなくもない。さて、どうしたものか・・・?とりあえず課題に残して、今日の作業を終えたのだった。
posted by うさくま at 00:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 篠山の山城

2017年09月03日

美山にドライブ

今日は美山かやぶきの里。伝統的建造物群保存地区に指定されているだけに、茅葺民家のたたずまい、村の空気などレトロ感に満ちてホッとさせられた。民家の屋根破風には家紋、「カタバミ」「目結」「鶴丸」「輪鼓」などが描かれている。墓地をウォッチすると中野さんだらけ、その家紋は「カタバミ」「輪鼓」「橘」、いわゆる株ごとに家紋が違うのだろう。また、墓石には苗字でなく、名前を彫っているのもうなづけた。


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美山の大原区にある庄屋・百姓住宅としては日本最古で重文指定の「石田家住宅」に寄り道。近くの大原神社、ご子孫にゆかりの管理人の方との出会いなどおもしろかった。石田家のお墓も訪問、家紋は「丸に三つ星」でした。


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posted by うさくま at 05:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2017年09月02日

池田家にお邪魔する

朝、大山庄の墓紋ウォッチをしたあと、昼からは市役所の方に骨折りをいただいて、池田輝政の子孫にあたる池田家にお邪魔した。武具・古文書・古典籍、先祖が交友があったという本居宣長の書などなど拝見させていただき眼福にあづかった。

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池田家の定紋

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池田長政が関ヶ原合戦に着用したという当世具足(左)

ikedake_03.jpg 江戸時代中期勢作の飾り鎧

当主の方から家の歴史に係る数々のお話も聞かせていただいた。本居宣長との交流はもとより、幕末の探検家で北海道の名付け親といわれる松浦武四郎が隣家の子どもで、放浪の旅に出るたびに支援をした。その縁で、松浦武四郎記念館に所蔵文書を寄託されたといった話は興味深かった。

それにつけても、せっかく見せていただいた典籍・文書類の崩し字が読めぬ悲しさ。他にも、文書の受取人への殿表記は目上の者につけるものと思っていたのだが、同行された市の学芸員の方いわく目下の者につけるとか。う〜む、その正否を判断できぬ知識の浅さを痛感! 精進せねば (≧∀≦)

posted by うさくま at 14:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 篠山歩き

丹波大山庄の故地を訪ね歩く

8月20日、おもしろゼミナールの下調べで、かつての大山庄・地頭職にあった中澤氏ゆかりの地を訪ねた。地元の歴史に詳しい小林氏に貴重な時間を割いていただき、あちらこちらを案内いただいた。
京都東寺の荘園であった大山庄は、荘園主である東寺と地頭中澤氏との間で相論が繰り返され、そのほとんどを中澤地頭が支配、東寺は一印谷とわずかの地を支配するばかりとなった。
ジックリ歩くと、中世と変わらぬという一印谷の風景、中澤地頭の館跡、城跡、さらに路傍の五輪塔・石仏など、長閑な中にも平穏ではなかった中世の歴史が実感されたのであった。

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・8月27日
先週に続いて、大山庄を訪ねる。眼目は一印谷に散在する中世の館跡と墓地紋の調査。館跡は谷の山麓に位置し、おそらく荘園政所、谷の有力農民(土豪)のものであろう。墓地はむかしながら株ごとに営まれ、霊園や新たに造成された村墓地にはない濃密な空気があふれていた。

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・9月2日
先日、もらしていた大山庄の墓地紋ウォッチに町の田から一印谷を歩く。
中澤・長澤さんが多いのは大山らしいが、一印谷は中澤地頭と争って最後まで東寺の荘園として残ったところ。中澤姓以外の名字が大勢を占めるのでは?という予想があったのだが、そういうことはなかった。名字から見る限りの乱暴な書き様だが、大山庄は中澤地頭が治めるところであったといえそうだ。

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posted by うさくま at 10:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史探索

2017年08月26日

淀山城整備作業に参陣

雨もあがった。予定通り、淀山城跡の整備作業に出動!
今日の淀山城、おそろしい湿度の高さ! 
竪堀と北尾根の自然地形の曲輪の竹・灌木の伐採に汗だくで格闘、きつかった〜。

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ほとんどサウナ状態のなかの作業。
夏場(しかも雨上がり)の山城整備はチョッとムチャかも?
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2017年08月23日

藤原会長による「上月氏とそのお城」を聴講

この春より“やしろ鴨川の郷”で開催されている、『歴史講座 播磨の氏族の興亡(播磨の領主とそのお城)』の第四回「上月氏とそのお城」を聴講。講師は北播磨城郭研究会・宍粟市城郭研究会の会長である藤原孝三氏。

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播磨の中世といえば赤松氏、その一族といわれる上月氏。その歴史は以前より気になっていたところであり、年休をとって出かけていった。一年以上ぶりで会う藤原会長の講座は、相変わらぬ熱さで予定された時間を軽くオーバーしたのであった。改めて上月氏の歴史は分かりにくいことを認識したが、現時点においてもっともまとまった研究成果であった。

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講座後、外に出ると大雨。たまたま講座に同席してはった山城仲間の杉山氏と雨宿りをしながら歴史話に話を咲かせていたところ、藤原会長も合流。講座とは一味もふた味も違うアフター歴史トークを楽しんだのであった。
posted by うさくま at 06:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 聴講録

2017年08月16日

篠山の夏といえばデカンショ祭

篠山市四文化施設を館管理しているいまの職場に勤めて七年、二年目より四館の事務方を担当するようになってのち、四館を主体に行われるイベントに出動するようになった。

デカンショ祭の両日も、入館者増と篠山の町ピーアールを目的にミュージアムカフェを開催。そのカフェ一員として、ビールやつまみの販売、客さんの呼び込み、裏方として材料などの運び屋などに汗を流すのが恒例となっている。

例年、歴史美術館において店開きをしてきたが、今年はデカンショの小径とデカンショ館へ観光客を誘うため北の堀端に位置する地方門から青山歴史村までをカフェ化、デカンショ観光客のおもてなし(呼び込みと販売)に努めたのだった。

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一昨日に下準備を行い、昨日の初日はまずまずの人出、続く2日目の今日もいい感じのおもてなしができた。ここ三年、デカンショ祭が雨にたたられ、途中で中止になるということもあった。今年も雨がぽつぽつするという不安な空模様のときもあったが、まずは中止になることもなくデカンショ祭は滞りなく終わった。

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今年は両日ともに平日で観光客の出足も鈍いのではと心配されたが、デカンショ祭のメーン会場に通じる一等地にカフェを構えたこともあって、カフェ企画をはじめて以来の活況を呈した。目的であったデカンショ館の入館者も昨年を大幅に上回る成果が得られたそうで、おおいに満足できる結果となったようだ。

明日は後片付けに忙殺されることになるだろうが、まずはトラブルもなく無事イベントを終えてよかった。とはいえ、スタッフの高齢化が進んでいることを思えば、このカフェ企画も曲がり道になっていると思わざるをえない。

posted by うさくま at 17:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 祭り

2017年08月12日

亡き母の初盆

昨年の暮れに亡くなった母の初盆ということで、「どうしたもんじゃろ?」アマの姉と連絡を取り合った。実家の宗旨では、ことさら初盆の法要といったことはしていなかったと思っているのだが、篠山に暮らしてみると初盆が重視されていることが実感された。

姉いわく実家の兄は、初盆という法要は計画していないらしい。でも、初盆は気になる「そうだ墓参に行こう帰ろう」と田舎に帰る帰省することにした。昨日、姉家族と山崎インターチェンジすぐのところにあるショッピングセンターで待ち合わせて買い物をすませ、田舎で一泊。

今朝、ブラッと揖保川堤防に出かけてみると、子どものころのままとはいかないが、むかしと変わらぬ川の流れ、山の姿である。ヒトは寿命がくると去っていくが、自然は変わらない、あたりまえのことだが母の初盆を思えば心に染みる田舎の風景だ。

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前方にある山の麓を左へ数分移動すると、香山城があります。「播磨灘物語」ではこの川を黒田勢が押し渡ったと書かれてます、が、ほんとかな〜〜 (^ν^)
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泳いだ川、昔はもっと深かった。
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左の山が右に落ちたあたりが通った小学校、チョッと見えない。

朝食をよばれたのち墓参り、天気が好いこともあってカラッとした墓地の風景である。姉夫婦と姪母子、そしてわれわれ夫婦の六人でお参りをすまし、姉たちと別れて丹波への帰途についた。今晩帰って来るという長男夫婦が駅に着くまでには時間がある。


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ということで、「しそうふれあい市場旬彩蔵」で素麺、梨などを買い、一宮から粟賀を抜けるルートで帰ることにした。せっかくなので、前から気にかかっていた波賀城主にゆかりがあると思われる中村姓の家紋を探して西安積の古刹・普門寺を訪ね、そこで教えてもらった村墓地へお邪魔した。なるほど、中村姓の墓があり、逸る心で家紋を見ると期待した「三つ星」とは違う「隅切角に松の角字」であった。波賀城主ゆかりの中村姓の家は、やはり波賀町に続いているのであろうか。

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普門寺の山門
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中村家の家紋

ガッカリしながら、目に付いた閨賀集落の墓地を訪ねると秋田家だらけ!家紋は「違い矢」と「違い鷹羽」、前から感じていたことだが家紋の矢羽根と鷹羽は根は一緒と見てよさそうだ。ついで安積の墓地を歩いてみると安積姓の墓を発見。家紋を見ると「一つ巴」、中世、安積一帯を領していた国人安積氏にゆかりの家かと思われたが確証となるものはない。先の中村さんと併せて、今後の課題として心に留めておこう。


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秋田家の家紋
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安積家の家紋

墓地探索はきりがない、ともあれ、一宮から粟賀に抜けたところで家紋をウォッチ。ついつい墓地を見つけると寄ってしまう、さ、本当に帰ろうと思ったとき長男から電話。チョッと早く着くとの連絡で篠山口駅に直行、長男夫婦を拾い今晩のバーベキューの材料を購入。あとはワイワイと親子四人でバーベキューに舌鼓を打ったのだった。

posted by うさくま at 17:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2017年08月06日

波々伯部神社の夏祭を楽しむ

丹波の祇園さんと呼ばれる波々伯部神社の夏祭りの本宮、久しぶりに楽しんだ。昨日、神社を訪ねて宮司さんにお話しをうかがい、今日、京都から遠征されてきた勇矢氏と一行、ウイズささやまが企画・実行する祭り見学ツアーと一緒になって祭を堪能した。

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神社の氏子集落から山車が続々と集まり、神社境内に勢ぞろいした姿は、賑々しくも、華麗で勇壮。そして、ハイライトの御旅所渡御へと祭礼は盛り上がっていく。緑の山、田畑のなかを御旅所へと山車が渡御する光景は何度みても飽きることのない素晴らしいもの。丹波篠山に祀りは数々あれど、波々伯部神社の夏祭りの渡御は別格というしかない。

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波々伯部神社のお札「藤鯛」を宮司さんからいただき、早速、我が家の玄関に貼らせていただいた。これで、いろいろな厄を「封じたい」と願う。

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2017年07月30日

荒木城整備に汗を流す

予定していた戦国倶楽部オフ会「山城整備&温泉&懇親会」が、夜来の大雨で中止となった。が、雨も次第に上ったことで城友・三宅氏と今日の目的地に代えて、かねてより整備作業を続けている細工所荒木城に登ることになった。
雨上がりの細工所荒木城はとんでもない湿気で、主郭に着いたころには汗みずくであった。小休止ののち、南尾根曲輪群を整備、昼食をとったのち北堀切とその先に続く尾根曲輪の整備作業に努めた。

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南尾根曲輪の整備、汗でレンズが曇った

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北尾根の堀切

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スッキリした


その途中、鋸が壊れたのをきっかけに、西尾根曲輪の整備をしながら下山。湿気と暑さで足元も覚束ないフラフラ状態、服は泥だらけとなった。
下山ののち懇親会場に移動して杉山氏と合流、オフ会恒例の歴史談義に花を咲かせたのであった
posted by うさくま at 07:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 戦国倶楽部

2017年07月22日

淀山城整備、ついで剛山城に登る

淀山城の整備に出陣!今日の参加者は村仕事があるとかで総勢四人、無茶苦茶な暑さのなか作業に大汗を流した。あまりの暑さに作業時間を早めに切り上げ、昼から予定をしていた剛山城址に登ることにした。

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城東公民館より剛山城を見る

さて、どこから取り付くか。城址の東側、地理院の地図にも見える破線のルートに決定したものの、すごい藪状態。生い茂った雑草を切り払いながら進んでいくと、寺跡であろう平坦地、なかなかの遺構と見受けられた。求める点線ルートは見当たらず、出曲輪が残ると思われる尾根筋に取り付き、山上の城址へと登っていった。途中、出曲輪らしき地形があったが、はたして城址であったかどうか。

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東陽寺跡であろう平坦地

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出曲輪の堀切か?

ヘロヘロ汗だくになりながら登りついた山上曲輪群は雑木藪、まったく手入れがされている形跡はない。たかる薮蚊をはらいながら城址を歩くと、切岸、横堀、帯曲輪などが確認できるが、足を踏み込むのを躊躇う状態である。薮蚊の大群に辟易しつつ西尾根を下っていくと、城址一番の見所といえる堀切。ここは、見応えがあった。いつか機会があれば、整備作業をしたいものだが・・・。

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生い茂る雑木藪

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主郭部切岸と横堀

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西尾根を遮断する堀切

西尾根を下った山麓には戦時中に掘られていたというマンガン鉱のあとが穴を開け、いわゆる昭和遺産とえいえるのではなかろうか。貧相な鉱山跡を見ると、往時、資源のなかった日本が勝てない戦争の推進に必死となっていた負の歴史を感じたことだった。

0722_IMG_3325.jpg 鉱山跡
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